過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

降伏文書調印は、9月2日、これでやっと戦争が終結することになる。

負けました、降参ですと言えばゲームセットかというと、そうでもない。相手にそれが届かなければ、身内の軍隊もそのことに納得しなければ、戦闘はつづく。

8月15日に、終戦の詔の玉音放送が行われた。日本は負けた。これで戦争は終わったということになった。しかし、この時点では、無条件降伏しますと連合国に宣言しただけで、降伏文書には署名していない。まだ戦争はおわっていない。

降伏文書調印は、9月2日のアメリカの軍艦ミズーリ号の上でなされる。これでやっと太平洋戦争(大東亜戦争)終結ということになる。

その間、ソ連は日本を攻撃し続ける。これは、ソ連が1945年2月のヤルタ会談南樺太、千島列島、満州における権益などを約束されたからだ。

ソ連軍は8月9日に満州に攻め込む。これは、8月26日までつづく。軍属と民間人の犠牲者は20万人を超えるとも言われる。9月5日:関東軍首脳部がハバロフスクへ移動、後に57万人がシベリア抑留となる。

さらには日本列島の北から占領していく。8月16日:南樺太に侵攻開始。8月18日:千島列島の占守島に侵攻。8月25日:千島列島の松輪島を占領。8月28日:千島列島の択捉島を占領。8月29日:千島列島のウルップ島を占領。9月1日:千島列島の国後島歯舞群島を占領。9月5日:千島列島の色丹島を占領。これで、北方四島の占領を完了する。

ところで、ここがよくわからないのだが、9月9日になって支那派遣軍総司令官岡村寧次が降伏文書に南京で署名する。日本が連合国に降伏しても、その間、陸軍は支那とは戦闘状態にあったということか。