年老いた母が田舎から靖国神社にやってくる。杖をついて、倅に会いに金鵄勲章をみせたいばかりに。戦死した息子が、立派なお社に神と祀られもったいない。
「九段の母」という歌である。作詞は石松秋二、作曲は能代八郎。
1939年(昭和14年)4月にレコードが発売され大ヒットした。
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上野駅から九段まで
かってしらない じれったさ
杖をたよりに一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた
空をつくよな 大鳥居(おおとりい)
こんな立派なおやしろに
神とまつられもったいなさよ
母は泣けます うれしさに
両手あわせてひざまずき
おがむはずみの おねんぶつ
はっと気づいてうろたえました
せがれゆるせよ田舎もの
鳶が鷹の子 うんだよで
いまじゃ果報が身にあまる
金鵄勲章(きんしくんしょう)がみせたいばかり
逢いにきたぞや 九段坂
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母は息子が戦死したのだから、悲しくないはずはない。しかし、「神とまつられもったいない。うれしさに泣ける。果報が身にあまる。その息子に、金鵄勲章をみせたかった」という。
金鵄勲章は、武功のあった陸海軍の軍人に与えられた。神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビが光り輝いて敵兵を眩ませたという伝説に基いている。
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母は、おもわず拝んで南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えてしまう。
「はっと気づいてうろたえた。田舎ものだからせがれゆるせよ」という。
どうしてか。
いわば念仏は、霊に対して〝迷わず成仏しておくれ、極楽往生しておくれ〟という意味が含まれていただろう。
しかし、戦死した息子は、もう英霊=神になっているのだ。
神に対して、念仏を称えるのは不敬である。だから、母はうろたえたのだ。
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普通、神道では、亡くなった時は荒霊(あらみたま)であり、三十三年かけて「和御霊」(にぎみたま)になるとされていた。それで精進あげ。「祖霊」となる。
ところが、当時の軍国主義の日本では、戦死したその瞬間に、英霊=神になるという教義を作った。天皇のために戦死した者が迷って成仏しないと都合が悪い。みんな英霊になるとしたのだった。
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戦死者の8割くらいは、餓死や病気、あるいは輸送船で沈没、あるいは銃撃で殺されたものであったろう。死後の魂があるのかどうかはわからないが、もしもあるとして、悲惨な死に方をした者が、死んだ瞬間に英霊になるなど無理な教えだと思う。
だが、そのような教えで、みんな戦争にいけ。戦って死ねというように国民を洗脳した。赤紙(召集令状)が来れば、出征兵士の家に行って提灯と日の丸の旗を振って〝おめでとうございます。ばんざーい〟と叫んだ。
わが大君に召されたる
生命はえある朝ぼらけ
たたえて送る 一億の
歓呼は高く 天を衝く
いざ征け つわもの 日本男子
『出征兵士を送る歌』
仏教各派も、それに同調した(戦争反対した宗派があったろうか?)。浄土真宗なども、戦死することは極楽往生することだという教学を吹聴していた(戦時教学という)。
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この山里でも出征兵士の半分は二度と故郷に帰ることはなかったと聞く。一人息子が、一家の大黒柱が、結婚したばかりの夫が。
そうして、日本は無条件降伏をする。
その翌日には、あっという間に軍需物資は横流し、闇市で売られてゆく。
児玉誉士夫などは、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。この豊富な資金が自民党創設の基礎になった。
そうして、占領軍は天皇を象徴として残し、A級戦犯の岸信介を総理大臣に据えて日本人を支配していく。そのコントロール、従属はいまも続いている。