過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「天皇の務め」について

天皇の務め」①─神々とのやりとり


天皇」というのは、7世紀あたりにできた言葉らしい。もともとは、「オオキミ」(大王)と呼ばれていたという。
その「オオキミ」が、他の小国を支配して統一していく。やがて自らは天の子孫(アマテラスオオミカ=アマツカミ系)と称する。他の豪族たちは、地の神々の子孫(クニツカミ系)であるとした。
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クニツカミ系は、オオクニヌシノミコト(スサノオの子孫)に代表される。オオクニヌシノミコトは、天から降臨したアマテラスの神の軍団に敗れ、地上の支配権を譲る。そして、海中に没する。その鎮魂(怨念がたたらぬように)のために建てられたのが、出雲大社であろう。
当時は、「天皇」(てんのう)とは、発音されず「スメラミコト」と呼ばれたようだ。スメラミコトとは、「スメラ」(究極の尊い)、「ミコト」(神の言葉を預かり、そして発する、保つ)という意味であろうか。
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天皇」の主要な務めは、なにか。
神々とのやりとりをすること。神々に国土の平和と安穏、五穀豊穣を祈願すること。神をまつることが、そのまま政治(まつりごと)であった。
その意味では、天皇とは日本国の「大神主」(だいかんぬし)であった。
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天皇の務め」②─薩長政権は将軍に替わる「権威」として天皇を利用


天皇とは日本国の「大神主」という源泉からいうと、本来の天皇の務めは、神と人を結ぶ存在として、古式豊かな衣冠束帯を着して、神事を行うことであろう。
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しかし、明治維新になると、いわば薩長の収奪政権は、江戸の将軍に替わる「権威」がなかった。そこで、明治天皇(当時15歳)をもちだしてきた。
そして、大神主ではなく、現人神(あらひとがみ)として、神そのものに祭り上げた。天皇を神として崇め、全国の神社を通して人心を掌握していく政策をとった。
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やがて天皇は、衣冠束帯ではなく、軍服を着た戦争指導者に祭り上げられていく。皇族たちもみな、戦争指導者になっていく。
かつて、三笠宮昭和天皇の弟)の御来席のパーティに参加したことがあるが、「宮様なにか一言を」とマイクを差し出されると、すっくと立ち上がり「帝国軍人はマイクなど使わない」と言われた。
「帝国軍人」という言葉には驚いた。そして、肉声で大きな声で話をされた。内容は、宝塚のファンであったとか(上原まりさんの琵琶の演奏の後だったので)、宮中の食事のことがメインであったが。
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さて、日本は太平洋戦争に敗れ無条件降伏した。占領軍によって天皇制は維持される。しかし、「天皇は神というのは、架空の観念である」と宣言させられる。(天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ)
そして、天皇は新憲法によって「日本国の象徴」ということになり、古来からの衣冠束帯は身につけず、背広にネクタイの洋風スタイルとなって、焼け跡となった各地を巡幸して、人々を励ました。

天皇の務め」③─天皇の祭祀が伴ってこそ


天皇陛下万歳!」と叫んで戦死していった者たち、それは神として靖国神社に祀られている。そこに天皇は参拝はしない(A旧戦犯の合祀以来)。また、千鳥ケ淵戦没者墓苑の合同慰霊祭の拝礼式にも、行かれない。
沖縄や海外の戦地(たとえば、崖から身を投げたサイパンバンザイクリフなど)には、慰霊の旅に出かけてはおられる。
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慰霊の際、天皇は「合掌」されない。お言葉を読み上げ、ふかぶかと頭を下げらる。「合掌」というのは、ある種の「宗教的行為」とみなされ、憲法政教分離、信教の自由、象徴天皇制の意味から、論議を呼ぶためと思われる。
国家神道の教義は、国のために戦って死ぬと即「英霊」=神となるところにあった。しかし、戦死者のほとんどは、餓死や病死と言われる(ガダルカナル島では、死者2万人のうち1万5千人が餓死。東ニューギニアでは9割、インパール作戦では8割など)。そういう方々が、即「神」になるとは、なかなか納得し難いものがある。やはり、それなりの慰霊が大切と思う
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では、正式な慰霊の場が、日本にあるのだろうか。
靖国神社は、教義からいうと、英霊がおわす場で、鎮魂の場ではない。また、千鳥ケ淵戦没者墓苑があるが、そこは環境省の管轄で、「公園」であり、「遺骨の仮置場」であって、慰霊の場ではない。
ある意味では、戦没者(兵士も民間人)の鎮魂の場こそが、靖国神社となるべきと思うのだが、これはいろいろと難しい(政教分離と韓国や中国に対する配慮からも)。
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もしも、靖国神社を慰霊の場と位置づければ、そこに参拝するのは、天皇の務めであると思われる。また、戦没者を慰霊するにしても、やはり天皇の祭祀が伴ってこそ、と思われるのだが。いまの憲法下では、それは不可能なことである。