過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

登山家の田部井淳子さんが亡くなった

登山家の田部井淳子さんが亡くなった。13年前にお会いして、インタビューさせてもらったことがあった。ヒマラヤに登るようなひとだから、さぞかしがっしりした体格とおもっていたら、わりと小柄で普通の感じのひとだった。

これまでの登山のなかで、「もうダメかなあ」という体験は、3回ほどあったという。そのときの、お話から。

エベレスト登頂を開始して12日目のことです。夜中に「ズッシーン」とものすごい音が響き、氷の固まりが一気にどーんと落ちて、こなごなに砕けて川のようになって押し寄せてきたのです。

私たちテントの中の5人は、折り重なってみんな埋まってしまいました。まったく身動きができません。呼吸も困難です。そのうち、目の前が黄色くなったり、赤くなったり、「ああ、こうして私は死ぬのだ……」と思いました。三歳になる娘が遊んでいる姿が浮かんできました。そして意識が遠のいて、気がついたら外に出されていました。難を逃れたシェルパ(登山案内、荷運び人)が、私たちを掘り起こしてくれたのです。

また天山山脈に登ったときには、氷のようになった山道を五〜六百メートルも滑落しました。まる一日かけた登った道をたった数分で落ちてしまうのです。ものすごいスピードで落ちていくとき、空が見えて雪が見えて、「ああ、自分はこうして終わるんだ」と思いました。あの恐怖は、言葉でどう表現したらいいかわかりませんね。

そういった体験をすると、日常の暮らしのなかの価値観がうんと変わったと思います。夜眠れなかったり、肩が凝ったり、満員電車で不愉快な思いをしたり、借金や人間関係などでいろいろと悩みがあっても、「生きているからこそ味わえる悩みなんだ。生きている証拠なんだ」と感ずるようになりました。だから愚痴が少なくなって、いろんなものを大切にして感謝する気持ちが強くなりました。