過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

田部井淳子さんお会いしてお聞きしたのは13年前のことだった

先日、亡くなった登山家、田部井淳子さんお会いしてお聞きしたのは13年前のことだった。その続き。先生との思い出のこと。

小学校の四年生のとき、先生と同級生と那須の茶臼岳と朝日岳を登ったことが、山登りのきっかけを作ってくれました。

自分の足で歩いて、肌で感じた強烈な体験でした。それまでは「山といえば緑」と思っていたのですが、この山は火山で噴煙をあげ、山肌はごつごつした岩ばかりで、川には熱いお湯がドウドウと流れている。

「これは、すごいところへ来た。自分の知らない世界が、もっとたくさんあるんだろうな」と好奇心が芽生えてきました。先生は、「登山は競争じゃないよ。どんなにゆっくりでもいい。つらくても誰も代わってはくれないよ。自分が歩けば、みんなと同じように頂上に着けるんだ」と励ましてくれた。

好奇心が旺盛でいちばん吸収しやすい年齢に、その先生に出会ったことが幸せでした。毎朝、私たちは、「今日は、どんな話をしてくれるんだろう。早く来ないかなあ」と、ワクワクしながら先生を待っていました。昼休みには、いろんな文学作品を読んでくれました。「それから? それから?」と聞きたくなるように話してくれるのです。

また、作文をよく書かせました。「自分の気持ちを正直に書きなさい。家が貧しくても、自分の暮らしを書くことは恥ずかしいことではないよ。洋服がきれいでないことも、恥ずかしいことではないよ。自分を隠したりよく見せようというほうが、むしろ恥ずかしいんだよ」と教えてくれました。