過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

たいせつなのは発信。考えをまとめて、発信できること

「インターネットってすごいらしい……」みたいな話をしたのは、20年前だった。Googleはまだ、この世になかった。

それがどうだ。いまは、ネットですべての情報にアクセスできると言っていいくらい。こないだインドの人に聞いたら、みんなスマホ持っている。鉄道の切符もタクシーの手配もみんなスマホだという。

日本の場合には、思想、学問、技術というものは、つねに他国からやってくる。昔は、朝鮮半島、そして中国から。やがてオランダ。そして、アメリカと。

学者というものは、外国語が読めて、海外の書物を紹介することがひとつの大きな仕事だった。こういう本がある。こういう人がいて、こんなことを言っている。こういうことが書いてある。そのように伝授するのが、学者の仕事でもあった。

いまは疑問と好奇心があったら、どんどんと検索していけばいい。だいたいの知識は得られる。だれに聞いたらいいのかも、わかってくる。それもほとんど瞬時に。英語が読めれば、もっと世界は広がる。

eラーニング(electronic learnin)はすすむ。教え人ると学ぶ人のやりとりが可能になる。自分の能力と好奇心に応じて、自分のペースで進むことができる。そういう時代だ。

知識の学びからみると、はたして大学など必要になってくるのかどうか。学費と生活費を捻出して、無理していく価値があるのかどうか。大卒の資格を得るため、就職に有利だからといって、大学進学することに、意味をもってくるのかどうか。お金に余裕があれば、それは行けばいいと思うけど。

資格もたいせつ。そして、たいせつなのは実力。それは、コミュニケーション能力だろう。相手から学ぶ力。そのためには、読解力。国語力。言いたいことをわかりやくすく伝える力。外国語を話す力もほしい。

学びの道のひとつは、たくさんの情報を得るとともに、自分の頭で考えること。そのためには、良質の本を繰り返して読んで、考えを深めていくことが求められる。

そして、たいせつなのは発信。考えをまとめて、発信できること。人に共感される文章にあらわせること。

ぼくは毎日、投稿するようにしている。それは、自分の学びのため。考えをまとめるため。整理するため。

「わからない」と感じたら、書く。「どういうことだろう」と思ったら、書く。ばくぜんとした考えを整理するために、書く。そして発信する。

不特定の読者に発信しようえとすると、わかりやすく書くようになる。メモ書きでは伝わらないからね。誤解も起きる。

書くこと、発信することで、頭の中身が整理されてくる。曖昧な情報が、正確になってくる。コメントをもらえば、新しい視点が浮かんで、考えが深まる。

というわけで、自分の学びのために書く。これからネット時代において、ますますたいせつになってくることと思う。