過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

書くことが最も学びになる

文章を書くことが、もっとも学びになる。
発信できる場があり、読んでくれる人がいる。そして反響をもえらる。ありがたい。そこがFacebookの価値と思う。発信ツールとして。
 
①頭の中身の「整理」となる。
もうひとりの自分がいて、それに向けて書く。
あるいは、読者を想定して書く。せめてわかりやすい、よみやすい、中身のあるものにしようとする。
その過程で、言いたいこと・メッセージが、自分の中で明確になっていく。「要するに何をいいたいのだ」と。
 
②「足りないこと」が顕わになる。
不正確な概念、知識、歴史的な経緯などが、書いていくと明確になっていく。
「わかっている」から書ける。しや、「わからないからこそ書ける」。「わからない」をテコにして書いていく。そこが学びとなる。
 
③「問題解決」につながる。
書いていくと、言いたいことが不明確であることがわかる。
不明確なことがわかることで、解決すべき課題が見えてくる。すなわち、問題解決につながる糸口になる。
 
④「自分を読む」ことになる。
書いて発信していくことで、文章は残る。あとで読み返すことができる。
そのときの自分の考え、ありかたが浮かんでくる。いまの自分と比較ができる。「こんな自分だったんだなあ」と。
 
⑤そのときの自分の「貯蔵庫」となる。
テキストデータにしておけば、いつでも検索ができる。特に「一括検索」が便利。
それはそのまま、自分の思考と体験の貯蔵庫となる。