過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

アヨーディアのヒンドゥーテンプル建設

スワルナーリ女史との対談④

───モディ首相が、アヨーディアのヒンドゥーテンプル建設を進めましたね。アヨーディアは、ラーマという神の聖地。そこにテンプルがあったのに、イスラム教徒が破壊してモスクを建てた。そしてまた、ヒンドゥー教徒が破壊してテンプルを建てた。そのようなことが何度も繰り返されて、ヒンドゥーとイスライスラムの争いのシンボルのようになっていました。

「モディは、いまもっともインドで人気がある首相です。G20でも、そのリーダーシップを発揮しています。そのモディは、インドにある4万のモスクを壊すべきだと主張しています」

───モディに指導力があるのは、わかります。庶民にとても人気があります。権威的ではなく、ざっくばらんで威厳がある。しかし、とはいうもののモスクを破壊してテンプルを建てるなんて‥‥。またイスラムヒンドゥーの争いが激化しそうですね。

「すべてのモスクを破壊するというのではありません。もともと、ヒンドゥーのテンプルがあった聖地に、イスラムが破壊してモスクを建てたのです。その場所を取り戻すというんですね」

───なるほど、もともとはイスラムの聖地であったところ。

「そうです。ヒンドゥーにおいては、建物は二の次です。たいせつなのは、パワースポットなんです。そこがパワースポットにもかかかわらず、イスラムヒンドゥーテンプルを壊してモスクを建ててしまったんです」

───なるほど。そうすると、たとえば、世界遺産の「タージマハール」などはどうなるんですか。

「あれは〝墓〟ですよ。シャージャハンの妻の墓。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルのために建造したんです。
しかも、ヒンドゥーのテンプルを破壊した上に建てられた。タージマハールといえども、破壊されるべきと思います」

───おお。なんという。

「インドだけではなくて、すべての先住民の聖地の上に建てられた教会やモスクは破壊されなくちゃいけないんです。たとえば、アステカもマヤもインカも、聖地の上にキリスト教の教会が建てられているんです」

───なるほど。〝パワースポット〟という見方、あらためてわかりました。

続く

ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるん

スワルナーリ女史との対話③

───「ゼロの発見」はインドですね。スンニャータ。有るとか無いとか、始まりとか終わりとかそういったものを超えている。

アブラハム系の教え(ユダヤ教キリスト教イスラム教)は、beginningがあってendがある。ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるんです」

───いわば、円のようなものですかね。円というものは、どの点が始まりか終わりか、示すことはできない。つねに、それは始まりであり、終わりでもある、と。

「マハーカーラ(mahākāla महाकाल)という考えがあります。カーラとは〝時間〟です。それは何にも拘束されない。時間を司る至高の王。

有のときもあれば、無の時もある。有無を超えたものです。
マハーは偉大な、カーラは時間とともに暗黒を示す。究極的にすべてを破壊することを示します。破壊はまた、あらたな創造です。
また、死の支配者としてのシヴァ神の別名です」

───それは、大暗黒神ということで、日本に来て、大黒=大国となってオオクニヌシノミコトとなりますね。オオクニヌシノミコトも闇、死の世界を支配するととらえられることもあります。

 

たくさんのブッダのなかから、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけをシンボルとして顕彰した。いわば、「釈迦教」と

インド人のスワルナーリ女史とのやりとり②

───ブッダについてお尋ねします。仏教というと、「ブッダの教え」であり、「ブッダになるための教え」です。
しかし、ブッダとは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけとされてきました。これについてはどうですか?

「〝ブッダ〟は〝ブッディ〟(悟りの性質)からきています。悟ったひと。目覚めた人。なので、釈迦だけがブッダではないんです」

───そうでしょうね。当時、ブッダはたくさんいたんでしょうね。過去にもいた。

「そう思いますよ」

───しかし、ブッダというと、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけが、ブッダとされた。

「はい。歴史的にはそうなっています」

───ぼくの考えです。アショカ王が初の統一インド国家(マウリア朝)を作った。その際に、仏教を国教とした。アショカ自身がシャカに対しての尊敬の心があったのはもちろんでしょうが、人民統治のツールとして仏教を採用したんだと思います。それは、ローマ帝国におけるキリスト教のようなものです。

ただ、そのときに、たくさんブッダがいると、混乱します。なので、たくさんのブッダのなかから、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけをシンボルとして顕彰した。いわば、「釈迦教」といえるのではないか、と。

「そうだと思います」

───そうして、後世になってカニシカ王のクシャン朝あたりから、違うブッダがあらわれます。大乗仏教がそれですね。阿弥陀如来とか。さらに後世になると、大日如来とか。たくさんのブッダが創られてきます。これについてはどう思いますか?

如来って〝タターガタ〟のことの訳ですね。〝タット〟(真理)から来た人、真理に帰る人。如来は、ブッダです。それがどうして、阿弥陀如来とか大日如来がでてくるのか、わたしにはわからない」

───クシャン朝は中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝ですね。
そうすと、他の国(イランなど)の影響があったことでしょう。偉大で救ってくれる神のようなブッダが創作されていったんだと思いますよ。

続く

ヤギに襲われたらどうする?

───ここは、こないだおとうちゃんが突然、ヤギに襲われてひっくりかえったところだね。
おとうちゃんは不意に襲われて、わわわっとあわてて後ろにひっくり返った。受け身というより、ごろんと回転したのだった。それで助かった。
きょうは雨だからヤギさんたちいないね。
 ▽
以下、池谷が設問。康ちゃんが答える。あかりは、笑い転げる。

───もしも、これがTさんならどうなったかねえ?(Tはマインドフルネスの先生、僧侶)
「Tさんもヤギさんも、お互いに気がつかない」

───Wさんならどうかね?(OはWを嫌っていてよく悪口を言っている)
「Wさんは突き倒されてもニヤニヤしている。そこにOさんがヤギをけしかける」

───おかあちゃんなら?
「臭いと言ってヤギを洗濯機に入れて洗ってしまう。まだ臭いと言ってシャンプーで洗おうとする」。

───Oさんなら?(93歳の和紙の匠)
「草むらに隠れて、石器時代のような弓矢を工夫して襲う」

───Bさんだと?(ヤママユの機織りをしている85歳の女性)
「あのねえ〜〜、とヤギに声をかける。話が長いのでヤギはうんざりして逃げてしまう」

───Hさんだと。(よくヘルメットかぶって自転車に乗っている82歳の男性)
ヘルメットかぶって自転車で通り過ぎている。ときに山羊の角のようなヘルメットをかぶったりすると、ヤギが驚く。

───Mさんだと。(創価学会で真面目にお題目を唱えつづけている87歳の女性)
南無妙法蓮華経とお題目を唱える。山羊は退散する。

───Aさんだと?(阿波おどりとキックボクシングの先生)
阿波おどりで攻撃してヤギを退散させる。

───Mさんだと?(力持ち友人)
ヤギの角をつかんで振り回して、首を折って食べてしまう。

───Dさんだと?(ベトナム僧侶)
太極拳のように手の甲で打ち返して(タオジャン)ヤギを退散させる。
  ▽
以下、三人が共通して知っている身近なキャラをえんえんと挙げて、その人らしい対応をあげて、おもしろがったのだった。

まあ、あかりもこういう話題にちゃんと加われるようになってきたというわけだ。

インド人とインド哲学のエッセンス、世界情勢の話をする

インド人のスワルナーリさんを訪ねた。よくお訪ねしては、インド哲学のエッセンス、世界情勢の話をするのであった。以下、雑メモから。

───インドでは、家庭でお寺で川の畔、日々プージャ(神への礼拝。火をともして讃歌やマントラを唱える)が行われていますね。信仰のありようが、日本とまったく深みが違うと感じます。

「プージャはworship(崇拝)じゃありません。神さま助けてください、神さま見まもってくださいじゃないんです。神は助けてくれないんです」

───ええ、そうなんですか。〝神は助けてくれない〟では、なんのためにプージャを行うんですか?

「プージャの目的は、神々の属性(attribute)を自分にいただくために行うの。神の力を身に着けるためですね。その力で、自分で自分を守るんです。マントラ真言)を唱えるのもそのためにあります。

───なるほど。そうすると、日本の大乗仏教で言うと、〝観音様たすけてください〟じゃなくて、自分が観音様の力を身につけるためと。
そうすると、ガネーシャとかカーリーとか、いろいろな神の属性を選んでプージャを行うわけですね。

「そうなんです。神を選んで私たちはプージャを行います。たとえば、ガネーシャのプージャ。これは、先導する力、教育、障害物を乗り超える、リーダーの役割を身につけるわけです。

───そういうふうにいろいろな神様のプージャをするわけですが、なぜかブラフマン(ブラーフマン、ヴィシュヌ、シヴァという最高神、三位一体神のひとつ)はしませんね。

「そうブラフマンにはプージャはいません」

───それはなぜですか?

ヒンドゥーの哲学のエッセンスは、〝アハン ブランマ スミ〟です。
〝わたしは、ブラフマンである〟に尽きます。

───その場合の、ブラフマンと自分との関係は?

ブラフマンのサンカルパ(意思、宣言、目標、決意)が私たちなんです。いわば、私自身は、ブラフマンのprojection(投影)なんですね。ブラーフマンが自分というスクリーンにあらわれている」

以下、続く。

これは改修は不可能

友人の家も見てきた。これは改修は不可能。しかし、築150年だから、古材がもったいない。
①自然に崩れるのを待つ。隣家もその方の家だから問題なし。敷地も広い→自然の崩壊も味わい深い。ただ、行政から「危険家屋」と認められるかも。そのまま放置していると倒壊したり放火されたりする危険のある空き家。
②重機でぐしゃっとこわす。あとは、自分たちで分別する。→50万円もしないかな。解体に利用できる補助金制度の活用の検討も。解体費用の1/5から1/2程度。
③解体に分別から最終処分を依頼する。→200〜300万円かかりそう。

 

山下洋輔ソロピアノ

山下洋輔ロピアノのライブ行ってきた。楽しそうに演奏していて、音の響きが心地よいこと。たまにはこういう時間がほしいよね。
最初の曲はボレロ、最期のアンコールは、枯葉。
あの山下洋輔が、とっても可愛らしいおじいさんになっていた。82歳。80を超えてもまったく感性の鋭さは衰えることもなく。かえっていぶし銀のように耀く。
会場は掛川お茶屋さんの二階のホール。ピアノはベーゼンドルファ。このあたりも掛川の文化力、感じるなあ。

神武天皇について

櫻井よしこの講演会に行ってきた。小国(おぐに)神社の主宰。森町のミキホール。政治家もたくんさん来ていたようだ。
 ▽
櫻井よしこは、日本会議。右翼、政権与党に影響力のある存在。
まあ、どんなことを言うのは想像はしていたけれど、ほとんど想定内。
歳を召されてもきれいだし、話し方が柔らかくて雰囲気はいいのが魅力なんだろうね。
 ▽
ざっくり講演の内容。じつは、半分寝てしまっていたけれど。

ウクライナとロシアの問題。一方的にプーチンの非を述べる。
いまの自民党や野党の体たらくの批判。
総理が他国(とくに中国)に対して堂々と渡り合えないという情けなさの指摘。伝統ある日本という国の誇りもない。高杉晋作のイギリスに対する態度。アーネスト・サトウの記録から。
神武天皇以来の日本の伝統をしっかり学ぶべき。
岸田政権は任期以内に憲法改正をすべきである。
皇室典範を改正すべきである。

まあ、そんな内容であった。とくに鋭いわけでもなく、新しい視点もなかった。
 ▽
「日本精神」の根源は神武天皇にあるとされるわけで、神武天皇について調べてみた。その存在は神話である。

ざっくりとこういう流れ。
天に在る神がこの国を生む。神々は高天原にいた。やがて、アマテラスオオミカミの子孫が高天原からおりてきて、この国を支配する。そうして、この国を支配していたオオクニヌシノミコトは海中に没する。

やがて、日向の高千穂宮にいたニニギノミコトの子孫カンヤマトイワレヒコノミコトは、日向から大軍をひきいて東征し、大和を平定する。これが神武天皇

日本書紀』では、それは紀元前六六〇年にあたる。
しかし、その頃の日本は縄文時代だ。統一国家があったわけではない。
ゆえに神武天皇は、歴史上に実在した人物ではない。神話、伝説上の存在である。

神武天皇陵」にしても、現在の奈良県橿原市にあるが、江戸時代になるまでその所在も定かではなかった。幕末の孝明天皇の時、この場所と定められて作られた。孝明天皇は結局、神武天皇陵の参拝はかなわないまま36歳の若さで崩御した。
 ▽
このあたりの日本神話の概要、そして憲法改正の中身については、よく調べておかねばならない。麻生副総理が「民主的なワイマール憲法が、ナチズムを生んだ。あれをみならったらどうかね」と言っていたが、粛々と憲法改正の流れは来ている。

そして、改正されれば、自衛隊は正式に軍隊となる。天皇国家元首だ。そして、反対思想は弾圧されるだろう。

アメリカが仕掛けた戦争に自衛隊が加担させられることになる(韓国がベトナム戦争に参加してように)。で、日本はアメリカと同盟国なので、攻撃される。また、大東亜戦争のように爆弾が降ってくるんじゃなかろうか。原発に爆弾を落とされたら、即、日本はおしまいだ。そんな気がしている。

 

イエスは踊ったろうか

エホバの人がよく訪ねてくれる。ぼくと同年齢。
24日の集会のお誘い。あいにく、山下洋輔のライブで行けないけど。
東北出身の方で、語りあっていると、なにかやすらぐのがいい。
つまらぬ教義や神学論争にはならならない。
───は池谷。「」は、エホバの人。

───死んだら天国ですか。
「いや、天国に行けるのは、144,000人しか行けない。(世界のエホバの平均伝道者数は約722万4千人)
あとの人は転生してくる。転生を繰り返す。すなわち、それは永遠の生命を得るってことでもある」

───「詩篇」をいくら読んでも面白くない。
あれは、ヘブライ語の韻が踏まれていて、本来、味わい深いに違いない。
メロディーがあったはずだ。さらには踊りもあったはずだ。

「聖書には、ダビデが踊ったという表現がある。旧約聖書の『サムエル記』や『列王記』。ダビデは、レビ人たちの肩に担がれた主の箱の前で力の限り踊ったとある。
ダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。 ダビデイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。」

───躍動して身体が踊るんだろうね。
インドのお寺のキールタンやBajanのときに、躍動して踊り出す人がいる。
イスラムでも旋回舞踏があるし。
エスは踊ったろうか。とても静かな感じがする。神殿で商売をする人に、激しく怒った場面もあるが。踊ったという表現はない。

 

年度末、報告書が重なるなあ

助成金というのは単年度だから、この3月は年度末。仕上げに追われる。
やることはやったのだが、経費的に、領収書の整理と予算に対する実績とか、その差異の説明。計画に対して、何をどのようにやったのかの報告書づくり。

で、いくつかの助成事業に採択されていると重なる。あとになればなるほど、調整がややこしい。ああ、手間がかかること。おもしろくないからね。

ということで、やっとはじめた領収書の整理。紙に貼って、日付、支払先、内容を書いて。そして、それを入力して、実績の計算。いろいろあるなあ。
「くれぐれも、いつまでに報告書を」という厳しい電話もかかってきた。

正念場。なんだけど、なかなかはかどらない。で、こんな文章を書いているわけだ。有能な助手がいればいいんだけど、そうもいかない。全部自分でやらなくちゃいけない。さらにまた、3月締切の助成事業が2本、プロポーザルが1件あるぞ。

「そんなにいろいろやるなよ」という声がある。まあ、次々と挑戦していく人生だから、トライするよ。しかも、本作りは今月締切が3冊だぁ。

「客を見きわめる」と「仲良くしたくない人に近づかない」

「客を見きわめる」と「仲良くしたくない人に近づかない」

新入社員の研修は、大坂でピアノを販売することだった。ピアノの予約販売だ。これは、ミシン屋が始めたビジネスで、毎月、積み立てていく。子どもが大きくなったら、それを頭金にしてピアノの実物を買う。ローンを組むのだ。
  ▽
研修の場所は大阪。いくら訪問しても売れない。ピンポーン「こんにちわ、ヤマハです」ドアをバシン。ドアを開けてくれても、相手にされない。売れず。

いくらたっても売れない。同期生では、その日に売ってきた人もいる。
「まあ、売れるはずがない」と思うことにした。

しかしまあ、それはそれでプレッシャーがあるわけで、「なんとかしろ」と攻められる。しかし「売れない」。どうしたものか。
  ▽
そうこうしているうちに、気がついた。
買いたいと思っている客はいる。そこにエネルギーを集中すればいい。
買う気のない人に対して、どんなに説明しても売れるはずがない。

で、買いたいと思っている人はいるのだから、それを見つければいい。
買いたそうな人は、訪ねていけば出会う。そうしたら、その方に、エネルギーを集中すれば、売れる。

ということで、やがてちゃんと売れるようになってきたのだった。
  ▽
13年前に東京から山里の田舎に移住した。
移住した時、よそ者だから、みんなに低姿勢で挨拶した。和やかな交流は得意なんだけど、田舎は閉鎖性が強い。

挨拶してもまったく返してこない人が数名いた。意図的にぷいと顔を背ける人もいた。こちらは移住者だから、最初は、そういう人とも仲良くしようと思う。挨拶を繰り返す、無視。ああ、疲れる。
  ▽
あるとき気がついた。
「ああ、この人たちは自分のことを嫌っているんだ。〝嫌ってやろう〟という人と仲良くなる必要はない」
割り切った。方向性のかじを切った。

仲良くしようという人とだけ付き合ってネットワークを広げていればいいんだ。自分を嫌っている人と仲良くする人はない。仲良くしたくない人に、あえて仲良くしようとエネルギーを使う人用はない。
まあ、そのスタンスでやってきた。ストレスがだいぶ緩和された。

松市立博物館に行った

66年間もつづけた「浜松百撰」を訪ねていった。いろいろいただいた。向かいが浜松市立博物館。行ったことなかった。そこは期待してなかったけれど、まあその通り。
 ▽
いきなり等身大のナウマン像のレプリカ。日本列島にいた氷河時代のゾウだ。45万年前という。
あかりは、45年前と思っていたらしい。
そしたら、おとうちゃんが若い頃に、いたってことになるじゃん。いるわけないでしょう。
何万年も前だよ。それだって、推定だから本当のところわからない。
それに像さんのような長い鼻かどうかだってわからない。鼻の骨ってないからね。あくまで推定なんだよ。

原始人がいたんだね。でもって、たぶん食料にした。
どうやって、殺したんだろね。落とし穴を掘って落として上から岩をぶつけるとか。崖の下に落とすとか。
それを焼いて食べたんだろうね。骨とか牙は道具になったし。革などは、着物になったり靴になったり。
  ▽
地租改正(1873年 明治6年)のときの「地券」もあった。土地の所有者を確定し、土地の収益を基礎に地価を算出。その3パーセントを地租として課税された。現金での納税だからきびしい。
それで、反対した住民が多くいた。その署名もあった。

所有権のないみんなの山(入会地)は官有地になったりした。あるいは、お金のある人に所有権者になってもらったり。ところが地券が転売されてみんなの山じゃなくなったりもした。そんな「入会地訴訟」があったことだろう。
  ▽
子どもの教科書とか雑誌もあったが、戦前のもので、表紙には少年航空兵のイラスト。

こうして、みんなが「兵隊さんはかっこいい」「少年航空兵になりたいなあ」「お国のために戦うのはすばらしい」というように教え込まれていったんだろうな。

いかに国民を戦争に巻き込んでいったのか。チラシとか雑誌とか教科書とか、洗脳の過程の資料を見たい。「そういう企画展をしてもらいたい」と伝えたが。まあ、博物館では難しいだろうな。

ナウマンゾウもいいが、明治維新からの資料、そして戦後史の資料館がほしいなあ。

自分を守るのが民法 武器になる

自分を守るのが民法
ぼくは大学で法学部に在籍していながらまったく、まったく授業に出なかったし留年もした。そもそも法律が好きではなかった。むしろ哲学とか、文学が好きだった。しかし、法学部のほうが「つぶしがきく」などと言われて、安全パイとして選んだのだった。

で、卒業して30年たって、原稿料を支払わない出版社を相手どって裁判を起こした。その段になって、はじめて「法律は武器になる」「自分を守るためにある」とわかった。
  ▽
20代の頃、自分の車を目の前でクルマを蹴飛ばされて車体が凹まされたことがあった。相手は学生が3人。こちらは、とっ捕まえて住所を聞いて、「弁償しろ」と迫った。カネがないと言うので、親にも電話した。けれども、有耶無耶になって泣き寝入りであった。かなしいかな、まったく法的な攻めができていなかった。

民法第709条には、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とある。

「故意」(わざと意思をもって、結果がわかっていながら、あえてその行為をする)でも「過失」(わざとじゃなくて、悪気もなくて、注意義務に違反したり不注意)でも、相手に被害を及ぼした時、損害を賠償する責任があるということだ。
  ▽
相手を威嚇したり、なじったり、すごんだりするよりも、粛々と裁判にもっていけばいいのだ。

具体的には、警察を呼んで被害届を出す。あるいは、事実関係を一筆書かせる。写真を撮る。とにかく、客観的な証拠をつかんでおく。
事実関係を明らかにしておいて、加害者に対して損害賠償の請求をすればよい。
  ▽
まずは「訴状」を書く。裁判所に提出するのだ。
「訴状」には2枚くらいのもの。法務省からダウンロードできる。
書き方はこんな感じ。

①損害賠償請求事件とか「タイトル」を付ける(裁判官は、100も200も裁判を抱えているので、タイトルがとても大切)
②「賠償の請求金額」。修理代や慰謝料など。
③「請求の原因」。ここは、事件の概要を端的に書く。いつどこで、こういうことがあったこうなった。費用はいくらかかる。
④「証拠方法」。それらを客観的に立証するものをまとめる。
  ▽
で、裁判所に原告と被告が出頭する。
だいたいは、法廷というよりも、ラウンドテーブルで行われる。
裁判官から「示談せよ、和解せよ」と言われることが多い。そのほうが短期間に決着するし裁判官もラクでいい。

で、和解したら、判決と同じ効力のある「和解調書」が書かれる。
和解調書には執行文(強制執行ができるという証明書)を付与される。

で、支払われないときは、相手の給与の差し押さえ、土地や建物などを差し押さえて競売して、その弁済に充てさせることができる。このあたりの処理は、ちと面倒だが。
  ▽
和解しないと、裁判が始まる。
日本の裁判は「書面主義」だから、準備書面というものを提出しあう。裁判所には行かなければならないが、時間は5分くらい。裁判官から、「訴状(あるいは答弁書)について、「陳述しますね。」と聞かれる。「はい。」「じゃあ次は、いついつ行います」「はい。あ、その日は都合が悪いのでこの日に」みたいなやりとり。

まあ、その程度だ。まあ、裁判になると小さなことでも半年や一年もかかってしまう。ので、途中でやはり裁判官から「和解しませんか」と言われる。そのあたりで、落とし所を見つければよいわけだ。

このあたりは、ほんとうは中学あたりから学んでいくといいのだと思う。我が身を守るために必要なことだから。

AI相手に将棋、そしてさくらんぼ計算で2桁のかけ算に

「中級に10分で勝ったよ」
あかりが喜んでやってきた。あかりはAI相手に将棋を指している。
毎日、確実に強くなっている。おとうちゃんにはいつも10分で負けてるけれど、手ごわくなった。一度だけおとうちゃんに勝ったことがある。

AIだと「棋譜」が残っていて、どのような戦いで行われたのかが、見事に順番に再現される。それを振り返るのもよい学びとなる。
あと、詰将棋だ。いまは一手攻め。やがて二手攻め、三手攻めとなる。楽しいパズルのようだ。その次は、囲碁だなあ。
  ▽
───さくらんぼ計算やってみるか。
「うん、やってみたい」

おとうちゃんの時代は、そんなのなかった。
さくらんぼ計算は、繰り上がりや繰り下がりの計算が苦手な子のための計算練習方法。普通、筆算の前にならう。
あかりは筆算はできるのだが、さくらんぼ計算が上達すると、暗算ができるようになる。
足し算から引き算、そして掛け算。

2桁×2桁の掛け算がすぐにできるようになると思う。
  ▽
ためしに小2のレベルの算数検定10級をやらせてみたが、もたついていた。計算はできても、文章問題がややこしい。算数もまた国語の読解力が大切なんだね。

しかし、問題の提示の仕方があんまり明晰ではない。わざわざ、わかりにくいような問題と思われた。文章力がどんくさくて、こちらで編集したくなるよ。偏差値教育など無視なので、明晰な算数を教えていこうと思う。

町の活性化を目指す中学生発案のプロジェクト「犬居SOZO(ソーゾー) 。劇団発表会。

春の名曲も数々あるけれど、森山直太朗の「さくら」秀逸。子どもたちが歌うと、じいんとくるなあ。そうして、映像に出てくる赤ちゃんの動きがなんたって可愛らしい。

「自然とし出だすことに、得たる風體(ふうてい)あるべし。ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせさすべし。」(風姿花伝世阿弥
 ▽
住民有志による学芸会。町の活性化を目指す中学生発案のプロジェクト「犬居SOZO(ソーゾー) 。

この劇団の校長は、この春から中学二年になるという、宇野清太くん(2枚めの画像)。3つくらいから知っているので、ずいぶんと成長してびっくりだ。

俳優もこなす。台詞回し、アドリブ、ピアノの演奏(ショパンなんか弾いてしまう)、劇の伴奏、いろいろお見事。おかあさんと次男の弟の琴の演奏。そして舞。

子どもが元気で明るいってのは、とにかく喜ばしいことだ。
それ見ている地元のお年寄り、おじちゃん、おばちゃん、みんな嬉しい。元気をもらえる。
  ▽
会場がまたがいい。瑞雲院(春野町堀之内の曹洞宗寺院)。春野の豪族、天野氏の菩提寺

「演劇は権力への抵抗であってほしい。暮らしの中から溢れる、表現せずにはおられない何か。長いものに巻かれず、自分たちの小さな暮らしを守る手段であってほしい」とお母さんの宇野まどかさん。

春野は「限界集落」というミュージカルの劇団(園児から70代まで、町民有志の手づくりミュージカル劇団)もある。

うちも「〝消滅集落〟という名の即興劇の集いをやろうかね。仲間と楽しめだけだけど」とあかりと話した。「うんやろう」とあかりも乗り気であった。

※了解を得て、映像をアップした。


映像はFacebookから見られる。

https://www.facebook.com/ichirin123/posts/pfbid02dk1n9s8oDjdfFRLUUSeriMy5gEngqeaeKVYXeyZfMaacN6kxU6wybx22WAFEhpgul