過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

松市立博物館に行った

66年間もつづけた「浜松百撰」を訪ねていった。いろいろいただいた。向かいが浜松市立博物館。行ったことなかった。そこは期待してなかったけれど、まあその通り。
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いきなり等身大のナウマン像のレプリカ。日本列島にいた氷河時代のゾウだ。45万年前という。
あかりは、45年前と思っていたらしい。
そしたら、おとうちゃんが若い頃に、いたってことになるじゃん。いるわけないでしょう。
何万年も前だよ。それだって、推定だから本当のところわからない。
それに像さんのような長い鼻かどうかだってわからない。鼻の骨ってないからね。あくまで推定なんだよ。

原始人がいたんだね。でもって、たぶん食料にした。
どうやって、殺したんだろね。落とし穴を掘って落として上から岩をぶつけるとか。崖の下に落とすとか。
それを焼いて食べたんだろうね。骨とか牙は道具になったし。革などは、着物になったり靴になったり。
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地租改正(1873年 明治6年)のときの「地券」もあった。土地の所有者を確定し、土地の収益を基礎に地価を算出。その3パーセントを地租として課税された。現金での納税だからきびしい。
それで、反対した住民が多くいた。その署名もあった。

所有権のないみんなの山(入会地)は官有地になったりした。あるいは、お金のある人に所有権者になってもらったり。ところが地券が転売されてみんなの山じゃなくなったりもした。そんな「入会地訴訟」があったことだろう。
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子どもの教科書とか雑誌もあったが、戦前のもので、表紙には少年航空兵のイラスト。

こうして、みんなが「兵隊さんはかっこいい」「少年航空兵になりたいなあ」「お国のために戦うのはすばらしい」というように教え込まれていったんだろうな。

いかに国民を戦争に巻き込んでいったのか。チラシとか雑誌とか教科書とか、洗脳の過程の資料を見たい。「そういう企画展をしてもらいたい」と伝えたが。まあ、博物館では難しいだろうな。

ナウマンゾウもいいが、明治維新からの資料、そして戦後史の資料館がほしいなあ。