過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ドラム缶に薪を入れて燃やし、暖を取りながら語りあう

友人が来訪した。近ごろは、ドラム缶に薪を入れて燃やし、暖を取りながら語りあう。ドラム缶は下の口の部分を切ってあるので、そこから見える炎がなんとも美しい。炎を見ながらの語り合いは、落ち着いていいものだ。

友が帰った後でも、ひとりで炎をながら、しばし瞑想をしていた。揺らめく炎をみているだけで、時間を忘れる。それだけで無心になっていく。

まわりは真っ暗だ。星だけは見える。敷地は、400坪もある。まわりをさほど気にすることもない。ドラム缶風呂も復活してみようか。薪もふんだんにある。こうして、ワイルドな暮らしができるのは、とてもありがたいこと。

いま、あたらしい暮らしの拠点をつくりつつある。山里暮らしの再出発の年になるかな。田んぼも畑も新たにスタート。あんまり拡大しないで、身の丈にあった程度に。

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あっちで、オオカミをやっつけてて

連日で、おにいちゃんやおねえちゃんに遊んでもらう。ほたる公園にて。


きょうのお姉ちゃんたちは、2年ぶりの再会。すべり台とぶらんこで遊んでもらう。
あかりは「お父ちゃん、ここにいないで。あっちで、オオカミをやっつけてて」と言う(昨日は、お化けをやっつけてて、だった)。


お父ちゃんは、鉄棒でストレッチしながら、子どもたちを見守る。


体のあちこちが錆びついている。鉄棒に片足をかけてぎりぎりと、ストレッチ。老化とこの冬の寒さで、筋肉が縮こまっている。それを伸ばす、伸ばす。イタきもちよい。


中学時代は、器械体操部だった。開脚は180度できた。鉄棒で大車輪もできた。いまは、せいぜい逆上がりくらいしかできない。しかし一度とやったら、もうめまいがする。「滅び」を受け入れるのが、分別であり知恵である、と痛感。

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片付けなければ、次が始まらない。

朝、起きた時、あかりが言う。
「ねぇ、きたなくない? 片付けないの?」

でも、それは自分がごちゃごちゃにしたせいなんだよ。
部屋の中はシッチャカメッチャカ。片付けがたいへんだぁ。

それでも、近ごろは、ひとりでせっせと片付けするようになってきた。
「あかりちゃんは、片付けるのだーいすき」とも言っていた。

ほめてあげると、おかあちゃんのところに行ってまた、「あかりちゃんは、片付けるのだーいすき」と宣言していた。

片付けると整然となって、気持ちいい。
片付けなければ、次が始まらない。
ひとつ片付ければ、また新しく始められる。

ひるがえって、日本は大東亜戦争の片付けを、ちゃんとしただろうか。
日本という国は、戦争の片付をちゃんとしていないのに、次の戦争をしようと準備しつつあるように思う。

じゃあ、なにがどう片付けられていないのか。
どのようにしたら、片付けることになるのか……。

そのあたりをてみたい。

子どもがたくさんいる大家族は楽しいだろうな

きょう、公園であかりと遊んでくれた子どもたちは5人兄弟といっていた。

「5人もいたら、毎日が楽しいね」。
──はい、でもよく喧嘩もしますよ。
「いとこもたくさんいるでしょう?」
──たくさんいますよ。みんながあつまると、すごくにぎやか。

そして、公園のベンチで昼のお弁当を食べていた方(60代)と立ち話。その方は、11人きょうだいといっていた。

「うわー、そんなにたくさんですか。すごいですね」。
──親が再婚どうしでね。互いの連れ子の合計が11人。
「それは賑やかですね。でも、お金がかかったことでしょうね」
──みんな中学を出ると進学しないで働きに行ったよ。建具職人になったり、トヨタ自工の職業訓練校に行ったりした。

5人きょうだいと11人きょうだい。すごいな。子どもがたくさんいる大家族は楽しいだろうな。きょうだい同士で遊んで過ごせる。

かつての日本のほとんどが農家だ。子どもも貴重な働き手であったろう。家事手伝いもよくしていた。大きなお兄ちゃんは、働きに出て、小さな弟たちの学資の面倒をみたり、そういう時代があったのだと思う。

また、遊んでくれるお友だちができた

「みんなでブロックつくってるから、お父ちゃんはお化けをやっつけてて」。
そう言ってあかりは、おにいちゃんとおねえちゃんと遊んでいた。

公園で出会った3人きょうだい。いちばん上のお姉ちゃん(中2)は、東屋でせっせと編み物していた。お兄ちゃん(小5)とその妹(小2)が、あかりと遊んでくれた。

聞けば5人きょうだいという。なので、小さなあかりをたいせつにして遊んでくれた。お父ちゃんは、大安心でみていられた。また、遊んでくれるお友だちができた。ありがたいこと。

あかりは、遊びが楽しくて楽しくて、ごはんのときになっても帰ろうとしない。連れて帰るのに苦労した。

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海外の物流のコストダウンのプロジェクト

むかし、ある会社で海外の物流のコストダウンのプロジェクトの仕事をしていたことがあった。生産と販売の調整をするというのが、ひとつの役目だ。30年以上も前のことだ。

本社としては、製造コストを抑えたい。海外の現地法人は、在庫が不足していたら、クリスマス商戦に売り玉がなくなるので、なるたけ多く確保しておきたい。しかし、生産能力には限界がある。そうして、世界全体で在庫を減らしたい。オンボードといって、船積み輸送期間中の在庫を減らしたい。そのあたりの調整の仕事だ。

船賃が安くて正確な船会社を使うとか、海外現地の販売計画を追求するとか、工場には生産力をあげてもらうとか、そんな仕事をしていた。会社が大きすぎて、全体の構造がよく理解できないまま、計算ばかりやっていた時代であった。

とても電卓では追いつかない。パソコンもない時代。バッチ処理といって、大型コンピュータにキーパンチャーが入力して計算していた。そのうちやっと、IBMの5550というパソコンでマルチプランという表計算ソフトが現れて、それを習って使っていた。それから、ロータス123というのが出て、やがてマッキントッシュが出現して、エクセルとなる。

当時は、ドイツマルクが80円くらいで、円高になると79円とか、78円とかになる。すると、売上がどーんとさがる。そうすると、販売計画の見直しとか。3,000アイテムを、細かく計算したり、そんなことばかりしていた。

船積みを海外向けに出荷すると、その時点で売上が立つことになっていたので、船積みとDepartureの日付でカウントする。計算力も、数字の処理能力のないぼくが、よくもまあ、そんなことをしていたものだと呆れる。たまに10億円くらい、売上を間違えたこともある。

そんな仕事を夜中まで、残業を月に100時間しながら、やっていた。そして、こんな仕事ばかりしていたらスリへってしまう。好きな仕事をしなくちゃ。でも、好きな仕事ってなんだろう。そんなことをいつも考えていたのだった。いまふと思い出したので書いておく。

あかりとの会話

あかりとの会話
──〈ぷちぷち〉もらった。いっしょにあそぼうよ。
「いいよ。あそぼうか」
あかりは、ぷちぷちをつぶそうとする。でも、指先に力が入らない。なかなかプチッとはつぶせない。


それで、こんなことを言い出した。
──あかりちゃんは、みにくいアヒルの子だよ。
「ええ?どうしてなの?」
──だって、いまできないけど、あとからできるようになるから。
「そうか、だからみにくいアヒルの子。いまはできなくても、立派な白鳥になるんだね」


──そうだよ。それで、お父ちゃんは白鳥。
「ふ〜ん。じゃあ、おかあちゃんは?」
──おかあちゃんは、ガーちゃん(アヒル)。
「(笑)」

あかりとの年齢差80〜90歳 デイサービスに

きょうは、「みんなの家」(ちかくのデイサービス)に行きたいというので、連れて行った。ここは、いごこちがよくて、なんともありがたい。
一緒にゲームをしたり、ジグゾーパズル、おやつをいただいたりして、3時間近くいた。あかりとの年齢差80〜90歳。
さあ帰ろう、といっても、なかなか帰ろうしない。玄関前で飛び回ったり、水たまりで遊んだりしていた。というわけで、本日、仕事できず。

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実務的には、文書にしていく過程で明確になっていく

毎年、3月末はたいへん。年度末まで引きずって事業を行うからだ。今年は、民間財団の助成金採択事業(2本)の事業完了と報告書の作成、さらにはマニュアル作りの作成。この3日間で完成させなくちゃ。(これを見た妻が「そんなこと書いている暇があったら、せっせとやりなさい」と言っている)

さらには、4月からある事業所の経営サポートに友人と関わることになりそう。そのための事業実態の精査、骨子の覚書、損益と人員体制の見込みの確認。「火中の栗を拾う」つもりが、「火だるま」「火の車」にならいとも限らないので。

なにごとも口約束、会議できめたものは、だいたいは曖昧にしていることが多い(心の勢い、気の流れを大切にするので、それはそれで意味がある)。

実務的には、これを文書にしていく過程で、ものごとは明確になっていく。さらには、きちんと覚書、契約書にまで持っていく。その過程で、いろいろ出てくる。

「実は……」「いや、そういうことではない」「ああ言っていたけれど、こういうことなので」ということは、起きてくる。いろいろ陥穽(落とし穴)もあるのだと思う。

こうして、少しずつ会話ができるようになってきている

昼間、あかりをほたる公園に連れて行く。散歩をして、たんぽぽの花を摘んだり、テントウムシを見つけたり。東屋で、くるくると走り回ったり。

「くまさんになあれ」と言うので、父ちゃんは「がおー」。「ぞうさんになあれ」と言うと「パオー」。「きつねさんになあれ」と言うと「コーン・コーン」。「ふくろうさんになあれ」というと「ホー・ホー」。

それぞれ姿を示して鳴き声を出さなくちゃいけない。しっかりなりきらなくちゃならない。最後に「お父ちゃんになあれ」。「はいよ」。やっと戻ることができるのだった。

夕方は、私設のまほろば図書館につれていく。あんぱんまんとおばけの絵本を読んで聞かせる。碁盤に碁石を並べて、バシッバシッと載せていくゲームをした。

あかりがなぞなぞを出す。「こ」がつくものなあに、と聞くので「こま」かな「困ったあかりちゃんかな」と言うと、「ぶぶー。ちがうよ」。「なあに」。「それはね。くまさん」とこたえる。

それじゃあ「こ」じゃないでしょう。というと、「あのね、くまさんは可愛いからいいの」という。

へんてこりんなやりとりだが、まあこうして、少しずつ会話ができるようになってきているのだった。

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「正しい」は、あぶないのだ。

一年前の投稿、思い出した。再掲。
あるお坊さんから、『コーラン』には「敵を殺せ」という教えある(仏教にはそう言う教えはない)というので、それはちがう。切り文的に引用すると、仏教でもかなり危ない教えがあるよと、伝えたのだった。

2017年3月20日
オウム備忘録(1)……22年前、地下鉄サリン事件のあった日。麻原に導かれたオウム真理教の信徒が大量殺人を企むという狂気の沙汰であった。オウムは、真正の仏教徒と自負していた。仏教の基本は、「殺すなかれ」であると思うのだが、なぜ暴走したのか。
ひとえに麻原の狂気とみられている。けれども、注意しなければならないのは、仏教といっても、かならずしも生命をたいせつにする教えではないということだ。仏教から、人を殺すという思想が導き出されることもあるのだ。


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大乗経典にあっては、「殺」が肯定されるような記述がみられる。たとえば「涅槃経」には、「正法を護る者は当に刀剣器仗(きじょう)を執持すべし」と。教えを守るためには、武器を携えてもよい。教えを守るためには、戦って敵を傷つけ、いのちを奪ってもよいということになる。
「成仏できない人間を殺す者は罪にはならない」という記述もある。過去世にブッダ自身が王であった時、正しい教えを誹謗するバラモンたちの命を奪った。そのおかげで、地獄に堕ちることがなくなったという記述もある。これらは、いずれも「涅槃経」である。


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さらには、密教だ。真言宗のお坊さんが、毎朝読んでいる「理趣経」。「一切有情殺害三界不堕悪趣」とある。三界の一切の衆生を害しても、悪趣に墜ちることはない、とある(般若理趣の法門を奉じているならば、が前提)。
後期密教の『秘密集会タントラ』では「秘密金剛によって一切衆生を殺害すべし。殺されたその者達は阿閦如来仏国土において仏子となるであろう」と説かれている。このあたりが、麻原のポアの思想に影響を与えていると思われる。


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日本仏教においてはどうか。
たとえば日蓮などは、国を安んずるためには、正法(法華経)を立てよ。そして正法を否定する邪教を廃せと叫んだ。
建長寺寿福寺極楽寺、大仏、長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべし」(『撰時抄』)と書いている。「寺塔を焼き払え、念仏者の首を切れ」と。


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このように、仏教といっても、「読み方によっては」けっこう危ない教えが含まれている。
「正しい」と思いこむと、正しくない教え、正しくない連中を、軽視し、憎悪し、いともかんたんにつぶしてしまえという意識が生まれてくる。「正しい」は、あぶないのだ。

逃れる道はただ一つ。子どもに帰って、一緒に楽しく遊ぶしかない。

朝からぬいぐるみ遊びにお絵かきに……。きょうは雨だからといっても、「水たまりごっこしたい」と言い出す。
坂の上から水たまりめがけて、滑り出す。三輪車を水たまりの中に飛び込ませて、ざざざーと水が飛び散るのを喜んでいた。
帰ってきても、おとなしくしていない。車輪のついている木馬に乗って、動く瞬間に飛び跳ねるゲームをはじめた。運動神経と会話の神経がつながってきて、どんどんと活発になる。
保育所はずっと休みに入り、幼稚園が始まる4月まであかりは、ずっと家にいる。
親は体力がないのに、あかりは体力がありあまり、暇を持て余す。いつながら、親たちはヘトヘトだ。
逃れる道はただ一つ。子どもに帰って、一緒に楽しく遊ぶしかない。

 

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グッドタイミングなことが、ちょくちょく起きる

「牛に引かれて善光寺参り」じゃないが、本来の用事が手間で面倒だなあと思いつつ、その過程で、楽しそうな展開が起きていく。グッドタイミングなことが、ちょくちょく起きるようになってきた。
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山里に暮らすと、銀行に行くのもたいへん。車で往復30分かな。さいわい、近くに銀行の出張のバスが来る。そこで入出金しようとしたら、20万円以上は出せないとか、振り込みも難しい。
仕方ない。クルマで春野支店まで行くか。ああ、面倒だな。でも、不思議なことに、そうしたとき、思ってもみない人に出会ったりする。
向こうから挨拶してくれた人がいた。初対面だが、こちらのことをよく知ってくれていた。いろいろお話すると、貴重な情報がえられた。そして、今後、タイアップして、いろいろなことができそうな気がしてきた。インドネシア人のインバウンド、知的障害者のツアー、OSHOのダイナミック瞑想キャンプとか……。
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次に出会った人は、お互いに挨拶したものの、あれ誰でしたっけ? お互いにどこかで見たことがある。でも、思い出せない。
……ああ、そうだ。先日、インドネシア人の家族とハラールの食品加工所探しの時に訪ねた地主だった。
そこは9千坪の土地と建物がある。広大な土地は、ムスリムのコミュニティに最適と思われた。
いきなり、そこを売りませんかというような話をして、ぶしつけというか、失礼なことも言ったように思い、気にしていた矢先であった。その後、食品加工所が決まったこと、土地の活用法など語り合い、交流が深まったのはよかった。
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なにがいいことかよくないことか、そのときにはわからない。いいことがよくないことになり、よくないことがいいことになる。それはわからない。ともあれ、パズルがうまい具合にはまっていくようなことが、近ごろはよく起きている。これからも、次々と起きていく予感。

地下鉄サリン事件から24年目

地下鉄サリン事件から24年目(1995年3月20日)。その前年には、松本サリン事件(1994年6月27日)があった。ともにオウムの仕業である。
サリンの被害者なのに、犯人扱いされた河野義行さんの講演を聞いたことがある。
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河野さんの奥さんは、サリンのために脳死状態。そして、河野さんは、まるで殺人犯人扱い。
後遺症の残るなか、無言電話、「この町から出ていけ」といういやがらせ電話が、毎日、30本以上。それは、半年も続いたという。
警察は、河野さんをいきなり犯人扱い。自白させるようなことを繰り返す。息子さんにも、「オヤジは自白した。お前もサリンの隠し場所を教えろ」という取り調べを行った。
マスコミはこぞって、犯人扱いした。「逮捕が近い」という報道もされた。
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河野さんは、無言電話には、「お話がなければ、切らせてもらいます」と丁寧に対応した。
娘さんが電話に出ると、「出ていけ。死ね」という声がする。そんなとき、「父はあなたと話をしますので、ぜひ家においで下さい」と伝えた。嫌がらせの相手を、けっして怒らせないようにしたという。
そうした人は、気の毒な人で、そういう人とまともに争ってはいけない。いちだん高い心で接しないと、自分たちのほうが潰されてしまう。そのような思いで暮らしてきたという。
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そんな日々でも、心が潰れずに戦ってこれたのは、自分を信頼してくれる友人がいたからだ、という。
「たった一人でもいい。自分を信頼してくれる人があれば、戦える、耐えられる」と河野さんは語っておられた。
河野さんへの容疑は、地下鉄サリン事件によって、晴らされたのであった。

「交代になったら、なにをするんですか」「百姓をします」

いつもの診療所に行く。

受付で聞かれる。


──体調はいかがですか。


「はあ、あいかわらず低空飛行で……」。

先生がやってくる。


──「やあ」。


「ごぶさたです」。

先生は、パソコン画面を眺めて、今までの診察記録を見ている。


──う〜ん。〈まずまず〉というか〈ぼちぼち〉というか。


「はあ、そんなところですか」。

──「じゃあ、舌を見せて」
べーっと舌を出す。


「裂紋薄白苔」(れつもんはくはくたい)。
という診察であった。

ちなみに、漢方が専門の先生である。僧侶の資格もある。
坊さんから医者になる人は、たまにいるが、医者から坊さんになる人は、なかなかめずらしい。

そこは、デイサービスも運営していて、施設には仏間がある。毎朝、希望者ともに般若心経をよむ。本尊は薬師如来。本人は、浄土真宗なんだけど。私設図書館(まほろば図書館)も無償というか身銭を切って運営されている。

こんど4月に、先生が交代になると聞いた。「交代になったら、なにをするんですか」と聞くと、「百姓をします」と言っていた。