過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラ物語 瞑想会の留意点 通し番号125

スマナサーラ物語 瞑想会の留意点 通し番号125

※ヴィパッサナーを学びに来る人は、いろいろな人がいる。わた私がかつて主催していたとき(30年も前)、長老がヴィパッサナーの説明をすると「そんな話はいい。早く実践を教えてくれ」と言った人もいた。なにか特別な瞑想の効果を期待して来る人もいた。
頭で仏教を学んでくる人もいた。そういう人は、無我とか空とかの質問をしていた。

しかし、ヴィパッサナーをきちんと体得する人は、ダンサーとか整体師とかヨーガの先生とか、身体といつも蒸し合っていね人だった。もっともヴィパッサナーがわからない人は、仏教を本で読んで学んでいる人だった。わたしもその一人だけど。

以下は、スマナサーラ長老の話。
  ▽
いろいろなところから、ヴィパッサナーの瞑想会にも呼ばれていきました。宿泊での合宿もありました。

参加者はさまさまです。
せっかく瞑想の実修に来ているのに、政治のこと経済のこと、教育のことなどを心配して聞いてくる人がいました。

「あなたは一体、何しにこの瞑想会に来たんですか。ヴィパッサナーの瞑想に来たんでしょう。あなたにとって日本の経済がそんなに心配だったら、こんなところに来ている場合じゃないでしょう。早く帰って自分の暮らしを立て直してください」と答えたことがあります。

やることをちゃんとやってほしいわけです。
それは、その人の思考パターンに対して言ったんですね。
その方は、集中していない、授業に集中していない。頭はぐちゃぐちゃ。だから生徒としては学びは少ないです。

実践する人が経済の専門家であったり政治の専門家であったり、学者であったり、そんなことは、どうでもいいんです。せっかく瞑想を学びに来ているのに、政治がどうの、日本経済はどうなるのかと心配していても、何の意味もないでしょう。

今の政治はどうでしょうかとか、それはそちらでやってください。政治家のやり方が嫌だったら仲間を集めてデモでもやってください。日本の教育システムに問題があるんだったら、そちらでやってください、ということです。

じつのところテーマは何を選んでもいいんです。
なぜなら、どんなテーマも一緒です。

ただし、そこに行ったら、ちゃんとそのものに集中することですね。せっかく瞑想に来たのだったら、集中して学んだらいいんです。
どんな職業がいいとかよくないとか、成り立たないんです。医者も弁護士も看護師さんも一緒。それぞれが、それぞれの道に集中するのです。みんないい加減にやったら困るでしょう。