※同じものに接しても、それぞれ受け取る人によって、想起するものが違う。自分自身にしても、気分、体調などによってちがってみえる。それぞれが、別々の主観世界で生きている。それがこの世界である。苦しみというのは、その意味から自分が創作したものであること、いわば自作自演であることを解明していきます。
理論で解明されても、「それがどうしたの?」ということになりますが、後半では、それを解消、解決してしまう実践法が指導されます。
その実践の体験をしてみると、「なるほどブッダの瞑想はすごい」ということが分かります。
それは、普通の理性のある人なら誰でも、どんな人でも、いつでもどこでも実践が可能です。死の間際でも可能でしょう。以下は、スマナサーラ長老の話です。
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子どもに見える世界、年寄りに見える世界、病人に見える世界、若くて健康な人に見える世界、それぞれ違いますね。
どんな世界が正しいかというのは、一つもない。
一人の人でも、その人の体の状況によって考える世界が変わってしまいます。
私も、しっかり考えて喋りたいんですけど、今日は体調が良くなくて、アイディアがきれいに整理されて出てきません。といって困っているわけじゃないんですけど。
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自分が作った世界で苦しんでいる
私たちは、その時その時作った感情、怒り、嫉妬、欲、憎しみ、落ち込み、愛着、執着、というような感情を持っていくんです。
例えば、何かを見る、すごく気に入る。それで愛着が生まれていく。
数年後、またそれを見ると気に入る。また愛着が現れる。古い愛着と新しい愛着とが合体される。より強固になる。愛着、怒り、落ち込みなどはみんな同じシステムです。
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怒りというのは、受け取りたくないという感情です。
何かを見た、感じた。これはいやだ。それが怒りです。
いやだと今を否定したい心です。
受け取りたくないんだけど、すでに受けている。
もう見ている。見たものに対して反応が起こる。
それが怒りです。
そして、気に入ったものがあれば、ふたたび見たいと思う。
それは欲です。愛着です。渇愛です。
見た、気に入らない。怒った。すごく気に入った。強い愛着を抱いた。
そういうふうにみんな生きているんです。
同じものに接しても、欲を起こしたり、怒ったり、それぞれみんな別々な反応をします。
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私たちは聞いて、見て、鼻で嗅いで、舌で味を味わって、体で感触を感じて、自分の世界を作っているんです。
同じ部屋にいても、それぞれの体で感じるものは違います。感情もそれぞれ違います。怒り、嫉妬、憎しみ、愛着などそれぞれ違うんです。
一つも同じものが成り立ってはいないのです。
成り立ってないけれども、それが俗世間のあり方です。
みんなそれぞれが、自分のとらえたものこそ事実と思い込んでいます。真実と思うんです。そこに苦しみが生まれます。
自分の心にある怒りやら、嫉妬やら、落ち込みやら、悩みやら、あらゆる感情は、自分が物事を見て聞いて考えて作った世界なんです。一人一人は、自分が作った世界で苦しんでいるということです。