ヴィパッサナー瞑想① 通し番号96
※先日の「東海ダンマサークル」で、スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想の指導を受けた。
かつてヴィパッサナー瞑想の集いを主催してきた。
何十年もの間、ヴィパッサナーについては、わかっているつもりであった。
今回、はじめて初心者として指導を受けた。
びっくりするほど、緻密で深遠なことがわかってきた。
長老の渾身の教え方にも感銘した。
──ああ、この10年も20年も、自分はいったい何をしてきたのか。随分と遠回りをしてきたなあ。
これがわかっていたら、もっと人生はラクラクとうまくいったのになあ、と思うことしきり。
まあしかし、そういう反省も後悔も先行き不安も、すべてヴィパッサナー瞑想でカット、終了させるのだ。
ともあれ、まずはテキストにしてみた。原稿にして30枚ほどになる。立つ瞑想と歩く瞑想の部分は、省略した。なんとなく、どういうものかは、わかるかもしれない。
しかしこれは実際にやってみないと、まったくその真髄はわからない。ちゃんとやってみれば、そのすごさはすぐにわかる。まずは連載していく。
以下はスマナサーラ長老の指導をテキストにしたもの。
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「瞑想の理論」
これから行うのは、悟りの世界に脱出するための瞑想です。
うまいくいけば悟りの世界に脱出します。
そうでない場合でも、心が清らかになって人生の問題はすべてなくなります。
◉考えることが問題の本質
私たちが抱えている問題の本質は、考えることにあるんです。
人間は考えることが好きです。すべてのトラブルは考えることにあるんです。
生きていることは、じつはそんなに大したことではありません。
しかし人は、考えなくては生きていられないようになっています。そのため、人生は複雑で悩み苦しむものとなっているのです。
考えるためには、いろいろと概念が必要です。
机とかペンとかボールペンとか帽子とか、すべて概念です。
人は概念をたくさん作っています。言葉がなくても概念はあるんです。
頭の中で、レゴのような感じで概念を組み立てています。
新しいものを何か作ったわけじゃない。組み立てたからといっても、それは形が変わっただけ。考えても考えても、何か新しいものは出てこないんです。
概念はどうやって作られるのでしょうか。
そこを解明していきましょう。
たとえば、ここにおリンがあります。みんなにも見えますね。
でも一人ひとり、けっして同じものは見えません。
それは、みんなそれぞれ見る位置が違う。距離も違うからです。
その人にどのように見えるか、私にはわかりません。
そして見たからと言って、完璧に見たという保証もありません。
みんな自分だけの画像を作っています。それぞれの視力や能力はバラバラ。光を受けてつくられる画像は、それぞれちがうのです。
おリンに光が反射して、みんなが見えたと感じる。光そのものは画像のデータを伝ません。光は何も情報を持ってない。反射する光を目がとらえて、目の中で電気信号に入れ替えて、脳みそで画像を作っているのです。
見えたということは、各人の脳みそによって画像が出来上がったということです。一人一人、みんな見え方が違うのです。
◉考えるということは、概念を書き混ぜること
その画像に、自分の過去の経験から名前を付け価値観を入れて、好き嫌いの感情を入れます。そのようにして概念が作られます。
考えるということは、その概念を書き混ぜることなんです。そもそも概念自体が信頼できません。
でも個人としては、しっかり見えています。
私に見えるものと他の人に見えるものでは、内容が違います。私が作る思考の流れと、他の人が作る思考の流れは同じではありません。私はその物体について見て考える。別の人もこの物体を見て考える。それぞれが自分の思考パターンを持っています。