過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヴィパッサナー瞑想③ ただいるだけで十分 通し番号98

※瞑想とは、いまここの自分を離れて、どこか別の世界にいくことではない(そういう瞑想法もあるが)。いまここにいる。いるだけで十分ということだ。


生きている以上、見える、臭う、味がする、痛い、かゆい、トイレに行きたいとかいろいろな現象が我が身に起きる。起きた瞬間に、それを感受して、そこでおしまい。それ以上行かない。深追いしない。そこで思考をカットする方法だ(そのための方法は、少しずつ説明されていく)。


まあ、いわゆるいま流行りのマインドフルネスの源流ともいえる。これは、眠っているとき以外、どんな瞬間でもそれは可能だ。
(ただまあ、読書とか、映画とか、そういうストーリーの世界に接すると、その内容が入ってこないという問題もあるかなあ。)


ともあれ、以下はスマナサーラ長老の話である。
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◉一旦停止させる


ヴィパッサナー瞑想というのは、一旦、考えるということをやめてみましょうという実践です。
考えることをやめたら、自由になれます、あらゆる問題は解決するということです。
  ▽
例えば、これ見える? 見えますね。(おリンをみんなに示す)
見えるだけ。それで止めるんです。見えるだけ。それ以上持っていかない。


あの人はごちゃごちゃ言っているとします。それも、聞こえるだけ。あるいは、音。それでおしまい。


そういうふうなプログラムです。それが思考を止める瞑想になるのです。
その実践によって思考を止め、心の中で苦しみの世界を作ることを、一時停止させるわけです。
  ▽
思考すること、妄想することやめてみましょう。
ただいるだけで十分なんです。


このおリンが真鍮でできたものであろうが、他の金属であろうが、大きかろうと小さかろうが、どうでもいいのです。
見える。はい終わり。
取ったら触れる。触れる、感じる。はい終わり。
それから先は考えません。