過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夢の効用って

夢はいつも見ているのだろうが、覚えていない。よく眠れなかった朝などに見ることが多い。しかし、見るのは(覚えている)、あんまりいい夢ではない。

今朝方、すっきりしない夢を見た。どうなるんだろうという不安、人に媚びようとする自分、言いたいことが伝わらない焦り、秘密が暴露されて逃げ出したくなる自分、探しものがみつからない、高いところから堕ちる恐怖……など詰め合わせだった。
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夢には、固有名詞や特定の場所や人が出てくる。しかも、断片的だ。統一感はない。明瞭な事実はなく、境界線があいまい。イメージの渦に埋没している。それが刻々と動く。さらには、似たような夢が繰り返し再現されることもある。

夢をメモしたりイラストにして残すようにしている。ずっとあとになって、「ああ、そういうことだったか」と気がつくこともある。その時の不安や怖れなどを暗示しているようにも思う。
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人は、暮らしの中でイヤな感情体験を味わう。つらい、かなしい、さみしい、はずかしい、こわい……。それが、しこりとなって身体の奥深くに埋め込まれる。そして、それが基底部となって、生きている中でのなんらかの不安や恐れを生む。トラウマのようなかたちで、噴出するのかもしれない。

人に対する怒り、イライラ、憎悪、悲しみなどは、過去に処理していない感情が根っこにあるともいえる。その人そのものに対するネガティブ性は、じつは過去にずっと根付いていた、浸透していた感情の噴出でもある。その人は、それをフックした(釣り針が引っ掛けけるように)といえようか。
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そのあたりが、つねにつきまとうと、さっぱりして淡々と人とやりとりができなくなる。ヘタをするとますますネガティブな関係性を生み出して、トラウマを強めていく。

夢というのは、そうしたことがないように、ネガティブな感情を再現させて、すこしずつ緩和させる、解消させようとしているのかもしれない。それが夢の効用なのかもしれない。