過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「呼吸の気づき」と「怒り」は、同居・両立しない

つねに「呼吸の気づきとともにある」、という実践の試行錯誤中。

呼吸は忘れる。無意識になる。身体は覚えていても、心は呼吸を離れる。頭のほうが、どんどんと動き出す。

穏やかでとくに何もないときでも、呼吸に気づきを入れるのは、なかなか難しい。すぐに忘れてしまう。ああ、呼吸だ、呼吸だ、と引き戻す。それを習慣にしていく。呼吸の気づきが、自分に根付くというのか、しっかりと住みだすといったらいいか……。

そうして、ネガティブな感情(怒りとか焦りとかイライラとか)が起きたとき、呼吸の気づきは、とても難しい。ネガティブな感情というのは、エネルギーが強い。そちらにぐんぐんと引っ張られてしまうのだ。

イライラしながら、困ったーと思いながら、怒りながらでも、「呼吸とともにある」という実践を試行してみる。
イライラしてもいい。仕方ない。止められやしない。

けれども、そのとき呼吸にしっかり気づいている。イライラしながら、呼吸とともにある。いわば、しっかりイライラする。しっかり困る。しっかり不安にいる。しかり=呼吸に気づきながら、というところ。

困ったなぁというときは、呼吸を忘れている。あるいは息を詰めている。

ああ、呼吸だ。呼吸に気づいていかなくちゃ、と思い出す。呼吸に意識を向けながら、しっかりと困っている。ということを実践してみた。

怒りはいちばん難しい。怒っていい。それは止められない。しっかりと呼吸に気づいて怒る。呼吸にしっかりと気づいていると、怒りは収まるのかなあと観察してみる。

怒りはパワフルだから、なかなか収まらない。しかし、「呼吸の気づき」と「怒り」は、同居・両立しないようだ。怒りが強いときは、ほとんど呼吸の気づきは忘れている。

しっかりと呼吸の気づきがあると、怒りは収まる。そんなところを、いまみている。