過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

おとうちゃんの書いたものを読んでくれている

あかりが、おとうちゃんの書いたものを読んでくれている。
「おとうちゃんの文章は読みやすいからいい」と言ってくれる。

「ねえ、きょうなにか書いたの?」
───まだ書いてないよ。だった、ネタがないもの。

「さっき、市長にメール書いていたじゃない、それらを投稿したら?」
───う〜ん。それは、個人的なことだしなあ。ちょっと憚れる。でもまあいいか、一部編集して投稿してみようか。

以下、市長にメール。
そもそも市長にメールが届くのかどうか、わからないし、会ってくれるかどうかもわからない。こうしたロビー活動みたいなやり方もなじまないけれど。
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早春の候 

明日(3月12日)、春野から〈まちなか〉に移動するものですから(往復100キロ)、たった10分間でも、ご挨拶させていただければと思い、メールいたしました。
市長にはご都合があると思いますので、難しければ、またの機会にお願い申し上げます。

3月4日に、議員会館石破茂事務所を訪ねました。
石破さんからは「ぼくが防衛庁長官時代に野中さんが秘書官をしていたので宜しくお伝え下さい」と言われました。(その時の写真を添付します、石破さんの左が私と娘です)

石破事務所を訪ねたのは、友人が「空援隊」というNPO法人が沖縄やフィリピンで遺骨収集活動をしており、その報告のためでした。石破さんが「空援隊」の顧問をしていた関係でお訪ねしたわけです。
私は、彼の本の編集と制作を受けており、ちょうど近く(北青山)の伊藤忠教育財団に用事があったので、そのタイミングでお会いできました。いわば付録です。

石破事務所には「スズキ百年史」などもあったので、手短かに浜松の中山間地の現状なども話してきました。
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浜松市天竜区春野町に移住して13年、8つになる娘がいます。
私は東京暮らし40年から天竜区の春野町という過疎地に移住して13年間になります(浜松市出身です。高校までいました)。娘は1年の夏から不登校です。

過疎高齢地への移住者は、血縁地縁も薄く、親に負担はかかります。子どもの居場所づくり、コペアレンティング(親同士での付き合い)などの道を試行錯誤しています。

NPO法人を設立して市の委託や「創造プロジェクト」など、行政や民間の助成金で、50以上の事業を行ってきました。仕事としてはデイサービス(みなの家)を経営しましたが、本業は編集&執筆です(仏教関係、医学書など、制作し発売したものは30万部を超えます)。

2年前「山里に暮らすフツーなのに普通じゃないすごい90代」(すばる舎)を発刊しました。また、ベトナム寺院(天恩寺)のサポートも行い、ベトナムの人たちとのネットワークのサポートもしてきました。
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お会いして、手短かにお伝えしたいことは、以下の3点です。

①過疎高齢化が著しく進む天竜区の実情。関係人口、定住促進事業について。

②移住者の情況。子どもが少ないので、地縁・血縁の少ない移住者は親に負担かかる(保育所なし、学童は毎日なし、保育ママ制度は難しいなど)。さらには、不登校児もいるわけで、「第三の居場所」が求められている。ママさんどしのネットワークも望まれている。

③昨年に消滅した集落(石切)には、市の建設した施設があり、それを活用しないともったいないので、無償貸与の企画提案をするつもりです。まだ、アセットマネジメント課には企画書は提案しておりません。3月末の予定です。あくまで参考でにということで。

10分以内で、お話させてもらいます。よろしければ、お時間をいただきたく存じます。
③が目的ではありません。自己紹介も兼ねて、いま制作している提案書を参考までに添付いたしました。