過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

岸の自邸の隣が統一教会

歴史の現場にいた人から話を聞くのは、じつにおもしろい。

岸信介と立ち話をしたことあるよ」
──へぇぇ、それはびっくり。
「いや、話といっても大した会話じゃなくて、わしは警備していたものだから、そのやりとりだよ」

ふと思い立って、取材の仕事の帰り、木下恒雄さん(88歳)をお訪ねした。
木下さんは郷土史家で、著書は30冊くらいある。いまも、執筆中だ。高校まで春野町で過ごし、東京の池上で警察官をしていたのだった。

──たしか、岸は高峰三枝子(女優)の家を借りて、そこを自宅兼迎賓館として使っていたんですよね。
「そう。高峰三枝子の家。それで、芝生が一面に敷き詰められていて、岸は薔薇が趣味で、たくさん植えられていたよ」

──そうでしたか。で、木下さんは、警察官として警備にあたっていたわけですね。
「そういうことだ。警備はたくさんいたよ。なにしろ、安保闘争で死傷者が出た時代だから、わしらはヘルメットを枕にして芝生に寝泊まりしていたんだ。それで、たくさんの警官が寝るものだからも、芝生がぺしゃんこになってしまった。

その岸の自宅というのは、東京都渋谷区南平台にあった。その隣にあったのが、『全国高校連合原理研究会』。そう、統一教会だ。統一教会は、1964年、岸のいた建物を借りて本部にしたのだった。

岸は、統一教会とも創価学会とも、深い結びつきがあった。その背後にはアメリカの占領政策があるわけだが、別の機会に書く。

 

──なにしろ全国的な安保闘争の渦中ですからね。岸邸も攻撃される恐れがあったんでしょうね。安保闘争といえば、全学連主流派は、国会突入したですよね。

「そうなんだ、その時期だよ。わしは、その時、全学連から国会をまもるという仕事だった。

──いのちがけでしたね。どういう守り方をしたんですか。
「ガタイが大きくて柔道の強いものが、前列にいる。そして、剣道の強いものが盾で叩くというやり方だった。

──国会構内で警官隊と衝突、東大生の樺美智子さんが亡くなったんでしたよね。
「そうなんだ。全学連は、機動隊が樺さんを殺したと主張している。しかし、ものすごい人数で国会に乱入したものだから、樺さんが倒れた。それで、全学連は自分たちで樺さんを踏んづけて、それで窒息死となったんだ」。

──まさに歴史の現場にいたんですね。
「ハガティー事件のときも、警備していたよ。アメリカ大統領アイゼンハワー訪日のために来日したハガティーは、羽田空港でデモ隊に包囲されたんだ。それで、アメリ海兵隊のヘリコプターでアメリカ大使館に脱出した」

木下さんは、郷土史をたくさん書いているが、木下さんご自身の歴史の体験がじつにおもしろそうだ。