過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

岸信介と創価は親しくなる。互いに利用する価値があった

アメリカという敵国の占領下にあって、なんとか生き延びる道は、「長いものには巻かれろ」だ。パペット(傀儡)になって日本の統治をすること。天皇も官僚たちも。面従腹背しつつアメリカのポチとなる。

アメリカの統治の基本は、間接統治。日本の行政、立法、司法の全権をGHQのもとに従属させる。政府への指令で政府を動かす。日本政府はGHQの言うことを聞いていれば、その存続が維持されるわけだ。

間接統治には、有能な日本の官僚が必要であった。それに最もふさわしいのは岸信介であったろう。戦時中、満州国の行政を管理し内閣の商工大臣をしていた。

頭はいい、人脈はある、行政の隅々まで把握している。だからGHQA級戦犯だった岸を巣鴨刑務所から出して、やがて総理につけた。
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世界の情勢は、ソ連や中国がどんどんと赤化勢力を増やしていった。このままでは自由陣営が危ない。アメリカは、トルーマン・ドクトリン(1947年)によって、反共政策に舵をきる。

日本を「反共の防波堤」にすることにした。当初の日本の軍事力を徹底的に削ぐ(戦争放棄・戦力不保持の憲法をつくった)という政策は転換する。

朝鮮戦争が起こり(1950)戦力そのものである警察予備隊(後の自衛隊)を創設させる。そして、日米安保条約(1951)、日米地位協定(1952)を結ぶ。

そうした反共の流れから、岸は「勝共連合」と手を結ぶ。その中身は統一教会。岸の館の隣に統一教会の施設ができ、やがて岸の館は統一教会の本部となる。

宗教は、反共の防波堤となりうる(マルクスは「宗教は民衆のアヘン」と呼んだ)。占領軍はそれらを保護していった。これは、戦後たくさん輩出された新興宗教がそうであり、創価学会とておなじ。
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そのような背景から、岸信介創価は親しくなる。互いに利用する価値があったわけだ。その象徴的なことは、1958年3月、創価の式典に岸が出席するのがきまった。

大石寺日蓮正宗)に寄進した「大講堂」の落慶法要である。ちなみに、「大講堂落慶記念総登山」には、創価学会員は延べ20万人余が参加している。

時の総理が、一新興宗教の式典に現れる。こんなすごいことはない。日蓮の遺命したとされる「国立戒壇」建立への一歩となる。創価は、急遽、青年部3千名を集めて大儀式を挙行する。

ところが岸は、参加を当日、急遽キャンセル。代理としてきたのが娘と娘婿の安倍晋太郎安倍晋三の父親である。
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そして統一教会は、「反共」という蓑で、勝共連合を作り、占領軍の保護を受けていく。占領軍の反共政策のもとで、布教拡大していく創価統一教会。さらには、霊友会立正佼成会

自民党は自分たちの政権が維持できれば、いい。アメリカのポチになること、統一教会の力を借りること、創価の力を借りること。なんだっていいのだ。

そして、創価統一協会も、いつかは自分たちの世界を作るという意識はある。やがては朝鮮半島の独立、そのマネージをしたいという野望というか熱意があったのかもしれない。
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あるとき、統一教会は、北朝鮮金日成に接近する(1991)。多額の寄付を行う。その資金源として、日本の信徒からあつめた献金が使われたろう。その額5000億円。その金で、北朝鮮はミサイルなどを作ることになってゆく。

創価創価で、着々と布教して会員は一千万人を超え、公明党を作り、今では政権与党にいる。そして、立法、司法、行政、マスコミに多くの人材を配置している。いつかは、自分たちの天下を取る、という意識はある。かれらはそれを「総体革命」と呼んでいる。