過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヤマギシの洗脳体験01

インドを旅すると、まったくの無所有生活をしている遊行者によく出会う。その数、何百万人もいるんじゃなかろうか。寝るのは樹の下、持ち物は衣と杖くらい。

インドではそうした遊行者は尊敬される。お金持ちはすすんで布施をする。そうした社会だから無所有生活は可能となる。ブッダもそのようにして暮らしていたのだろう。
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日本で無所有の生活は、ほとんど不可能だ。ホームレスの暮らしは辛い。

だが、原始共産社会、無所有の共同生活をしている集団がある。ヤマギシ会だ。「幸福会ヤマギシ会」という。農業・牧畜業を基盤とするユートピアをめざす。

そんなヤマギシ会を知ったのは「中外日報」に掲載された元お坊さんの体験だった。
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彼は、浄土宗の寺の家に生まれた。そのまま寺を継ぐことに躊躇があり、禅の師匠を求めてアメリカにわたった。

サンフランシスコの禅センターで指導されていた鈴木俊隆老師に指導を受けたいと思った。しかし、師はすでに亡くなっていた。そのまま、しばらくアメリカで放浪を続けた。

やがて帰国して、ヤマギシの存在を知った。
彼はヤマギシで暮らす村人と出会い、「無所有」の生き方を知った。その暮らしに出会ったとき、自分の名ばかり「出家」が恥ずかしい。そう気づいた。家がある、土地がある、車がある、家族がある。いったいこれで「出家」といえるだろうか……。

もとより祖師たちは、みんな持ち物などなかったことだろう。法然も、親鸞も、日蓮も、道元も、一遍も。なにより、ブッダがそうだった。王子としての地位も財産も、妻子も捨てて出家した。終生、無所有の生き方をした。
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ヤマギシの生活にこそ、ほんとうの出家があるんじゃないか」。
かれは寺を継ぐことをやめ、ヤマギシ会に入った。ヤマギシ会に「出家した」のだった。

いまヤマギシ会の実顕地(集団農場みたいなところ)で暮らしている
「自分の持ち物といえば、風呂敷に収まるだけのもの。そう、メガネ、歯ブラシと、下着、手ぬぐいくらいしかありません」

「なんの財産もたない生活って、清々として心配のない日々なんですよ」
そう彼は言っていた。

オウムに出家したことのある知人も、言っていた。
「オウムにいたというと、いろいろ偏見をもたれるけれど、あのなんの持ち物もない出家生活生活。──あのときほど安心して、心配のない日々はなかった」
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彼は、寺よりもヤマギシのなかに「無所有の生き方」に価値を見いだした。
その体験を聞いて、わたしもヤマギシを体験してみたいと思った。聞けば「トッコウ」と呼ばれるヤマギシの「特別講習会」があるという。だれでも参加できる。

だがこの「特講」はよくできた「洗脳」のプログラムともいう。そうだ、洗脳を体験するのも、ひとつおもしろいじゃないか。ということで、一週間の宿泊の「特講」に参加したのだった。

統一教会の「洗脳」を調べていくと、ヤマギシ会の「特講」を思い出したので、書いてみた。(つづく)