過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

89歳ひとり暮らし。郷土史研究家。著作は30冊ほど。

木下恒夫さん。89歳ひとり暮らし。郷土史研究家。元警察官。
たまに訪ねては、大いに啓発を受ける。
『村にやってきた文明開化』『村の成り立ち』『お茶の文明史』『遠州林業史』など、著作は30冊ほど。
一冊の本を書くのに、500人くらい取材したという。元警察官時代の聞き込み調査の経験が活きる。
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地元の『若身物語』が校了。300冊ほど発行したいと相談を受けた。
固有名詞、年代などきちんと記憶されている。資料の整理もすごい。国会図書館から明治の新聞を借りてコピーしてテーマ別に保存して分析する。

ただ、そういうことを語る相手、聞き役がいない。
そのため私が訪ねると、5時間くらいの話になる。
今回は、あかりを連れていたのであかりには、話が難しい。「はやくしてー、もう帰るよ」と騒ぐので立ち話、数分に。

それでも、いろいろポイントを聞けた。
①戦前戦中の日本人の形成した「教育勅語」と「戦陣訓」のこと。
松浦武四郎蝦夷地、択捉島樺太した探検家)が、岩倉具視の命を受けて春野に来ていたのはなぜか。
③氾濫する天竜川の治水をした金原明善は、明治天皇行幸の際に、いかにして天皇一行が天竜川を渡るようにしたのか。
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①については、ルース・ベネディクトが『菊と刀』で日本人の「特殊性」を、比較文化論で分析している。わけても「教育勅語」と「戦陣訓」の役割が大きいという。「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」が、兵士らのバンザイ、玉砕攻撃、自決、ひいては住民の「集団自決」(強制集団死)を誘発した。

②については、明治2年に「神仏分離令」のもとに、全国的に火防(ひぶせ)の神として有名な秋葉権現をまつる秋葉寺(しゅうようじ)が徹底的に破壊された。御神体や法物がもっていかれた。それらは岩倉具視の指導にあったのかもしれないという推測。

すなわち、天皇絶対主義国家を作るために画策したのが岩倉具視であり、天皇を現人神(あらひとがみ)とするために、伊勢神宮を頂点とする神社のヒエラルキーを作る。そこで、邪魔なのが神仏混淆の寺であった。寺は壊す。その嚆矢(こうし)として、秋葉寺があったのではないか。

③については、数か月に渡る天竜川の大氾濫のとき、江戸遷都のため天皇東海道行幸せねばならない。

そのために、金原明善が活躍する。橋を作る時間も資金もない。どうしたのか。サッパ船(小型の磯船)を横に並べて連結してで船橋を作った。それで馬も人も通れるようなった。そのサッパ船の見本は、新宮池の祭に出るあの船だ、と。

 

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