神社(2)明治政府は、いわば薩長と一部の公家(岩倉具視など)によるクーデター政権であり、そこには権威がなかった。そこで、将軍に替わる権威として持ち出したのが、天皇制である。
天皇こそが現人神(あらひとがみ)であるとして、国家に君臨させる。これが、王政復古の大号令、神武天皇の昔に帰るということだ。
政治=まつりごと=祭祀である。神道を国家の祭祀の中軸に据えた。天皇による祭祀こそが、国を安んずる道であるとした。
そのために、あらゆる神社を国家によって系列化した。皇祖神のまつられている伊勢神宮を最高位に置いて、全国にあった神社を序列化した。神々を体系づけ、ヒエラルキーを定めた。
官幣・国幣の神社を定める。その下に、府・藩・県・郷・無格の各社に分類した。こうして、すべての神社が国家機関となった。
さらに、神職の世襲制を廃した。代わりに、国家が任命した神官が赴任することになった。かれらは国家公務員となる。
また、国家の祭祀にふさわしくないとされた神社は、壊された。あるいは、まとめて合祀された。こうして、村々にあった地域の拠り所とされた鎮守の森は、消えていった。
1898年(明治31年)の当時、神社は約20万社あった。そうして、1916年(大正5年)には、約12万社になったという。