過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こういうところに「森のようちえん」とか「フリースクール」があるといいなあ。

こういうところに「森のようちえん」とか「フリースクール」があるといいなあ。
この山里はほとんどの森が人工林の杉と檜で、生物多様性もなくて、暗くて息苦しい。
しかし、こうした広葉樹の森にいると、なんともほっとくつろぐ。

この家は、元大手出版社の部長だった人が退職して10年くらい住んで、年とって都会に戻った。家には2000万円くらいかけたと言っていた。
そのあと、友人のSさんが購入。たしか400万円くらい。ところが4年くらい住んだところで、心筋梗塞で亡くなってしまった。以来、ずっと空き家だった。

山が見えて景色もいいし、子どもにとっては遊びどころ満載。なんとか活用できる道はないかなあと思っていた。近くの情報通の人にを訪ねると、もうすでに若い人が購入したという。
山里は年寄りばかりで、次々と空き家が増えていく。人は次第に減っていく。現象率は、10年で30〜40%じゃないかとさえ思う。やがて集落は消滅していく。数字的には、だ。

だが、近ごろあちこち訪ねてみた感覚としては、若い人たちが住んできている動きがある。古民家を活用し宿泊施設、泊まり込みの語らいの場、喫茶店、ソロキャンプの場など。
まさに、世代交替期をむかえていく時期に入った。
過疎の山里に暮らすというと、サラリーマンではなかなか至難だ。なにしろ駅まで50キロもあるわけだし。仕事はない。
なので、自分で仕事を作れる人しか住めない。そういう人たちは、とても個性的だ。このコロナ禍によって、山里にも新しい流れが起きていくようにも感じる。

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