過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里に可能性があるとしたら


①山里の人口は、どんどん減少してゆく。独居老人が増える。子どもたちは帰ってこない。春野町など、この10年の人口減少率は30%近く。50年代の1/3(ざっと15,000人が3,000〜3,500人くらいか)となっている。

②田舎というものは、血縁地縁で固まっていて閉鎖的である。ほとんどが親戚つながり。そこに「よそ者」が入ってくると、違和感を抱く。「よそ者」からすると、不合理なしきたりとか雰囲気を感じる。

③けれども、山里を担ってきた人ちは、年老いて動けなくなる。やがて死んでいく。インフラは老朽化して、整備が間に合わない、放置される。交通機関もなくなる。空き家、廃墟、耕作放棄地ばかりとなる。ゆえに土地は安い。

④〈まちなか〉で暮らしている若い世代は、家賃は高い、交通事情は過密、子育てが不自由。豊かな自然の中で暮らすのがリッチで幸せと思い描く。土地建物が安ければ、そこで暮らしたいと思う。なあに仕事はなくても、支出は減るし、資源は豊富。自給自足の道もある。ネットを通して起業する可能性はある。

⑤そう感じた若い世代が、山里に移住を始める。廃墟や空き家のリノベーションがすすむ。衰退し、消滅しゆく山里に、すこしずつ何か可能性、エネルギーが起きていく。これは二俣あたりで、起きつつある。

⑥移住者同士のコミュティが生まれる。子育て世代同士の交流が進む。ネットを活用して、創造的なビジネスの輪ができていく。田舎暮らしの発信を続けていくと、〈まちなか〉との交流も起きてゆく。〈まちなか〉の人が「行きつけの田舎」感覚でやってくる。

⑦外国人も、廃墟の設備を改装して仕事場として活用しはじめる。いますでに、ペルー人やブラジル人など、自動車の解体や塗装、古い農機具を引き取って修理して販売など、はじまってきている。
---------------------------------------
まあ、そんな流れを感じている。⑥は、これからの動き。私としては、そのあたりの事業というか、役割ができればなあ、と思っている。

しかし、ともあれ未来は予測できない。どんな不測な事態がくるのかわからない。戦争の可能性もあるし、ミサイルが落ちる。資源枯渇するか。疫病がさらに拡大する。自然災害で土砂崩れ川の氾濫で暮らせなくなる。

まあそうなったら、「どうぞ豪雨よ起きてくれ。どうぞ大風よ吹いておくれ。困難なことが次々と起きておくれ。それはそれで、生きていけるうちは、生きていくんだから」という心境になるしかないわけだ。