だめだなあ、どうしようもないなあと悲観的になる。あいつのせいでこうなったなどと、被害者意識をもちやすい。さらには、悪いのはあいつだと、他罰的になりやすい。暗くて刺々しくなっていく。すべてが、おもしろくなくなっていく▲自分のいのちのエネルギーが低い時に起きやすい。しかし、一晩寝たら、元気になって、ああ、なんの問題もない。大丈夫。きっとうまくいく、と思うこともある▲まことに、心はころころと変わりやすい。だから、いまの気分がずっと続くことはないと、心がけていればいい。
この世界の現実。それは、いわば自分の心の境地で、世界をみているんだと思う。自分の心が世界に反映される。自分の心が外の世界に投影される▲仏教に「唯識」(ゆいしき)という考え方がある。世界はただ「識」(Consciousness)だけがある。「識」によって世界が存在する▲一人ひとりは、それぞれの「識」から生み出した世界をもっている。自分が生み出している世界なのに、動かしがたいものとして、とらえている。
「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」(華厳経)と。すべてのものは、自分の心のあらわれ。いわばイリュージョンであるとも▲世の中を変えよう、体制を変革しようとがんばっても、自分自身の「識」がかわらなければ、世界は変わらない。識が濁れば、世界は濁る。識が浄化されれば、世界は浄化される。そういうことになる▲では、どのように識を浄化していったらいいのか。というところから、仏教では様々な実践法が示される。けれども、これこそ唯一絶対だ、真理だ、などとつかんだ途端に、執着が生まれて、識は濁っていくんじゃなかろうか。