※「動く」ということについての、説法。
生きているものは、動く。生きていないものは動かない。
感覚というものがあるからだ。
脳梗塞で麻痺したら、体は動かない。
生きているということは、動くということ、死ぬ瞬間まで動いている。
たとえば、横隔膜が動いて呼吸している。当然、心臓は動いている。
そして、自分で動きを制御できるのは、横隔膜だ。呼吸の動きだ。心臓などは自分で制御できない。
そこでヴィパッサナーは、呼吸の動きに気づくところをベースにしていく。
そして、坐ること、立つこと、歩くこと、物を動かすこと、食事すること、寝ること、すべてに気づきを入れることで瞑想になる。それが、ヴィパッサナーである。ブッダの瞑想法である。
‥‥と理論では語れるけれど、深い実感まで至っていない私である。だからこそ、修行があり、実践すれば確実に実感としてつかめる。そこが、ブッタの瞑想法のすごいところである。
以下は、スマナサーラ長老の指導。
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そもそも体が動くということは面白いことです。
生きているから動くのです。
生きていないもの、死んだもの、物質は動かないんです。
水の上に葉っぱを乗せたら、浮いたらそのままいます。風が水の動きがなければそのまま。
素粒子論で言えばすべては動いています。宇宙のすべてのものは動いています。
しかし、我々の目から見れば、この葉っぱは動いていないんです。
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でも体というものは動いているんです。
体に物を動かす何か力があるんです。
体には感覚があります。感じるという能力があります。
感じる能力があるならば、体は動かせるんです。
石には感じる能力がない。だから自分で動けない。
何か物を当てたら転がるでしょう。
誰かが動かしたら動く。けれども自分では動かない。
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私たちのこの腕も物体です。しかし、この腕は動かせます。
これは感覚があるからなんです。感じる能力があるからです。
注射して感覚を麻痺させたら、動きません。
脳梗塞が起きて感覚神経がつながらないとしたら、動かない。
自分の腕でありながら、まるで物体として、かなり重たいものとなります。
だからこの感覚があるから、動けるんですね。
太陽の動きなどは、計算できるパターンです。地球はどんな風に自転するのか、公転するのか、シンプルに計算できます。専門に研究する科学者たちは、パッパッと計算してしまいます。
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生き物はそうじゃないんです。単なる物体ではないので、計算できません。
生き物には感覚があるので、自ら体を動かします。
たとえば、ゴキブリ一匹とビー玉一個をそれぞれ箱にいれておく。
同時に箱を開けたら、ビー玉は転がっていくでしょう。その速度や方向はだいたい計算できます。ビー玉はどこに転がるのか、どこで止まるのか、だいたい分かります。
ところが、箱の中にいたゴキブリはどうでしょう。
箱を開けたら、ゴキブリは逃げますね。
ゴキブリは何をするのか分からない。動くかも、動かないかも。前に動くかも、横に動くかも。
この違いは何でしょうか。
ビー玉は物質です。だから普通の物理法則で動くんです。
ゴキブリは命あるものです。心で動いてるんです、感覚で動いています。
だから、こちらへ行ったらあぶないと気づいたら、あちらに行く。隠れる場所があれば、ササッと隠れてしまいます。
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心あるものは、数字を入れて計算できません。
我々人間もゴキブリと同じ動物です。感覚がある物体です。
そういうことで、身体を動かしてますねいるわけです。
そのとき、できるだけゆっくりと動かして、身体の動きを瞑想してみるんです。