過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ラマナ・マハリシのアシュラム

これまでインドには聖者とよばれる人が、たくさん現れた。なにしろブッダが、シャンカラが、ラーマ・クリシュナが、タゴールが、ガンジークリシュナムルティがOSHOがいた国だからね。いまでも数え上げればキリがないほど、聖者がいる。▲で、すばらしいのは、各地には聖者のおられたアシュラムがあって、ほとんど無料(あるいはドネーション)に近いかたちで宿泊できること。こうしたアシュラムに滞在しては、瞑想したり歌ったり、いろいろ世界の人との出会いを楽しめるのが魅力だ。▲日本のお寺も、そういうふうに自由に泊まれて、修行ができるといいのにね。お寺って、ほんらいはそのためのものだろうし。

とくに南インドラマナ・マハリシのアシュラムには二度も滞在した。▲ラマナはとうに肉体を離れておられるが、そこのアシュラムの居心地のよかったこと。たくさんの孔雀が庭にあそび猿たちがやってくる。搾りたてのミルクとベジタブルカレーのおいしいこと。▲強制されることはほとんどなにもなくて、滞在費はドネーション。瞑想したり読書したりアルナチャラ山に登ったり、気ままに過ごさせてもらった。▲なによりアシュラムを包み込むラマナ・マハリシの波動がすばらしい。顔が、目がすばらしい。写真を見ればわかるでしょう。

そして、その教え。「その人自身が立ち現れれば、すべてが立ち現れ、その人自身が静まればすべては静まる。心が静寂に帰せば、人はどこにでも住むことができる。▲実現した人は、ただ自己のみを見る。実現した人は、世界を彼自身と異なったものとしては見ない。▲瞑想によっていっそう浄められ、わずかなさざ波もない静かさだけが残される。その静かな拡がりが自己である」と。