【親子が遊びに来てくれた】2025.12.29
Uさん親子が遊びに来てくれた。H君は今小学二年生だが、なんと体重が50キロもある。柔道をやっているだけあって、ずっしりと重厚感があり、びくともしない。一人っ子なのでお母さんに甘えている。
H君が「あかりちゃんに会いたい」と言うので、あかりを呼んだ。あかりはもうかなり大人びてきて、昔のようにワイワイ騒ぐ感じではなくなっているが。
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H君が「小学二年生の算数の文章題ができない」と言うので、机の上に置いてあった小学校の教科書から文章題を一緒に解いてみた。
単なる計算ならさっとできるのに、文章題になると途端に「?」となってしまう。
しかし、一度わかると楽しくなるようだ。例えば17-9にしても、機械的に計算するのではなく、「17羽の鳥がいて、9羽が飛んでいきました。残りは何羽ですか」というようにイメージしていくと、頭の中に情景が浮かぶ。
H君にそういう問題を出してみると、指で数え始めた。指が足りなくなるとお母さんの指まで借りて数えている様子がおかしかった。
算数の問題ができる・できないということではなく、その内容をイメージして頭の中に描き、そこで足したり引いたりしていく──その過程にいろいろなやり取りがあり、小さなドラマが生まれる。
そのこと自体が面白い。答えが合っているかどうかはその次でいい。その素材を使って楽しいコミュニケーションが生まれることこそが、大切だと思った。
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子育てをしていてありがたいと思うのは、こうして他人の子どもの成長を身近で感じられることだ。
子どもが成長していくというのは、自分の子どもだけでなく、他人の子どもも同じように成長していくということだ。しばらく会わないでいると、「おお、こんなに大きくなったな」「大人びてきたな」と驚く。
そして、お母さんが子どもを慈しみ、その成長を喜んだり、時には悩んだりしている姿に接するのは、とても学びになる。
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先のことはわからない。いろいろなドラマがある。
あと十年後──今の仕事はどうしようか、子どもの将来はどうしたらいいか、友達付き合いはどうしようか、家計はどうなるか──そんな先行き不安の中に、それぞれがいる。親も子どもも、何が楽しいのか、まだよくわからない。
そんな中で人と人が出会うということ。それ自体がまた楽しい。今ここに生きているということだ。そんなことを、私はベッドに寝転がりながら、あかりとはる君のやり取りを見ていて思った。
その後、近所のおじさんが遊びに来てくれたが、私はベッドの上から「はーい、どうぞ」と返事をしたものの、おじさんは耳が遠いせいか私がいることに気づかず、帰ってしまった。
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子規の『仰臥漫録』──病床六尺の世界である。私の世界も今、六尺の空間の中だ。
一日に歩くのはせいぜい十歩ほど。あとは寝て、パソコンに向かったり、動画を見たりしている。
やりたいことはたくさんあり、頭の中ではいろいろシミュレーションしているのだが、いざ背中を起こしてみると「ああ、やっぱりつらいな、疲れるな」と思ってまた横になる。なかなか現実はうまくいかない。
ただ、ありがたいことに頭だけはまだ働く。こうして音声入力で文章を書くこともできる。
今から体が良くなっていくということはあるまい。むしろ次第に悪くなっていくのだろう。だからこそ、今が一番元気なときだと思って、やれることをやっていこう。やれることはあまりないのだが。
多くの人の助けを借りなければ何もできなくなっているのが現実だ。それはそれで仕方がないとして今がある。