過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

吉野の桜は千本塔婆か

ぼくは死後、骨が残っていれば灰にしてもらい、ちかくの清流・気田川に流してもらいたいと思っている。もしも異国の山野で死んだら、そのまま朽ちていってもいいし。▲あるいは、桜の木の下に眠っているというのも悪くないかなあ。骨は土に帰って、桜の花の養分になる。そして、青空に美しく咲き乱れて、また散る、と。もともと桜は、死者を埋葬したそばに植えられたという説もある。▲死者と桜って、ハレとケがちょうど裏表ですばらしいと思う。

桜といえば、吉野だ。▲吉野が桜の名所となったのは、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が祈りだした仏さま・蔵王権現を桜の木で刻んだから、と言われる。以来、多くの人が桜の献木をしたことによって、全山が桜となった。

で、この献木なんだけど。もしかして、それは死者の供養のためだったんじゃなかろうか。▲桜が満開になるというのは、死者が鎮魂されて賑わうってことか。桜の一本一本が死者をとむらう塔婆のような趣。まさに「千本塔婆」だ。吉野山って、だから「よき・死の山」かも。▲そんなこともあって、来週は、吉野と伊勢に出かけることに。ワンコも一緒。熊野もさらには比叡山にも行きたいけど、ちときついかな。