過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

あかりとのやりとり。心は宇宙の中に入った。心はいろいろなものを作り上げる

桜は満開。あかりは、遊び友だちをさがすが、公園には誰もいない。小鳥を追っかけたり。坂道を三輪車でガーッと下ったり。お父ちゃんと、恐竜と宇宙と死と心のお話をしていた。明後日は、いよいよ幼稚園入学だ。あかり3歳。
骨と筋肉。恐竜は火山でみんな死んでしまった。死んでも心は残った。心は宇宙の中に入った。心は残っている。そして、心はいろいろなものを作り上げる。……みたいな話をしていた。録音したので、Youtubeにアップしてみた。下記サイト。
https://www.youtube.com/watch?v=UZpcn5F7CJM&feature=youtu.be

いやぁ、人生いつも道半ば

「池谷さん、そんなに先がないのに、よくやるよ」。
友人にそう言われた。

─いやぁ、人生いつも道半ば。それでよしとして、死ぬ瞬間まであゆむつもりなんだけど。
……とまあ、そう言ったのだが。

さきほど友人からのメール。
「手をひろげすぎ・・・。この性格は、死ななきゃ直らないのか・・・」。

まあしかし、年をとると怖いのは病魔だ。

昨日、ひさしぶりに出会った方は、ずいぶんと痩せてよろよろしておられた。
「じつはね。脳梗塞をして7ヶ月も入院していたんです。いまもリハビリ中。まあ、そーっと生きるんだ、そーっとね」。

きょう来られた方は、胃がんに肝臓がんに滞納の動脈瘤の手術をしたという。

「いまは、生かされているんだと思います」。
そう言っていた。見た目、とてお元気そう。数々の実業を積み上げておられる。なにかプロジェクトで連携できそうな気がする。

ともあれ、こうして、日々、私たちは生かされているんだろうなあ。あらためて、思う。
生かされているから、精一杯、やりきらなくちゃいけない。

それにしても、しっかりと焦点を絞り込んでいこう。レーザー光線のように、集中して、物事を処理していこう。

どうも、ぼくの場合、拡散、拡大ばかりしていく。その都度、勉強にはなっている。そして、勉強するばかりで、かたちになりにくい、と。魂の学びの日々なり。

ハラルの食品加工 振り出しに戻りそう

インドネシアの家族が、ハラル食品(イスラム食)の加工を行い、全国とインドネシアなどに向けて販売をする。その加工所として、山奥の食品加工所を借りることになった。
集落の全員が合意してくれ、契約書もつくり、双方で締結した。保健所の許可もおりて、さあ本格稼働だ。
という矢先、振り出しに戻りそうな流れになっている。
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行政から「待った」がかかったらしい。その理由を、集落の契約の責任者に聞いたり、人づてに聞いたが、具体的な内容がわからない。
契約書を作成して仲介した当事者としては、現状を把握して手を打ちたいところ。
それで、役所に直接聞いていった。だが、やれ経済産業課だ、国際交流課だ、農林水産課だとか、わかりにくい。それぞれ趣旨説明をして、やっと担当がわかってやりとりできた。
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なぜダメなのか、その理由を聞いた。
施設(農村体験施設)は、国と市の補助事業で建てられた(補助率50%以上)ものである。目的は、住民が使用するものであり「他に貸すことはできない」。そのように「要項」に書いてある。
なので、他に貸すと「規定違反」となる。行政としては、管理責任を問われるので、見過ごせないということだ。
規定は変えられない。まぁ、たしかにそうだ。
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当初の設立目的は、地域住民が使用することが前提であったろう。しかし、集落の過疎高齢化が著しく、その施設は、今ではほとんど使われていない。
ハラールの食品加工は、そういった遊休施設を活用して、地元の活性化に貢献することができる。地元の農産品も購入して、利益を還元できる。さらには、地元集落の名前を使用したハラル表示も作成して、全世界のムスリムに発送しようという提案もある。
さらには、空き家があればインドネシアの若い家族、3世帯8名が移住してくる可能性もある。インドネシアのインバウンドの中継拠点になる可能性もある。
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すでに「東洋経済」が記事(集落とインドネシア家族の交流会)を掲載し、いまYahooのテレビ取材が入っている。NHKも地元新聞、朝日も取材したいという。テレビ東京が、池上彰の特番の柱の一つに取り上げたいとも連絡があった。
そうした流れを、うまく活用して、市の魅力発信につなげ、ひいては日本が、イスラム教のひろまっている国々にアピールできるいいチャンスとも思っている。
たとえば、安倍首相が中近東に歴訪する時、「ネタにしたい、いい話」ともなると思う。
「過疎の山奥にムスリムの若い家族が来てくれた。地元産品を活用して、世界にハラル食品を展開したいという流れがあります。山里の住民とうまく交流して、宗教理解、異文化理解も進んでいる」と。
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そういう背景があるが「規定では、他に貸してはいけないからダメ」ということで、おしまいになってしまう。それは、残念なこと、もったいないこと。
使われていない施設を活用して地域に活かそう、という流れがあるにもかかわらず、建物はだれにも使われず、やがては解体するしかなくなる。全国にそういう施設はたくさんあるように思う。
かくして、過去に全国の山村に作られた施設、ハコモノ(文化ホール、集会所、体験加工所、博物館、学校など)などは、過疎化によって誰も使わず、朽ち果てていく。やがて解体と。
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このことは、農林水産だけの話ではなく、国際化、過疎対策、まちなかとの交流、異文化交流、さらには市や国の広報につながることだと思う。
行政は法令遵守が基軸にある。一部のための利益供与など許されないのはわかる。しかし、山里特区というか、過疎の現実に対して、柔軟に対応していく道があってもいいのではないだろうか。
だから、「規定を変えよ」というのではない。「規定」は規定として、たとえば「市長案件」として、運用上いくらでも対応できると思うのだ。
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最悪、加工ができず、発注した真空パック器など使われず、大量の受注がキャンセルとなるかもしれない。まあ、それはそれで、縁がなかったということだ。並走して、他の施設も探すということにも動き出さねばならない。
こうして書くことで、問題が大きくなって、ますますやりにくくなるかもしれないが、ともあれ、同時進行ドキュメントで発信していく。

お父ちゃんは、あとで喜ばせてあげるから待ってて

きょうのあかりとのやりとり。
おまままごとセットで、きれいに料理を作っていた。

─あかりちゃん、すごいねー、やったねー。
「お母ちゃんを喜ばせたいと思ってつくったの」

─お母ちゃん、うれしい。疲れが吹っ飛ぶわぁ。
「お母ちゃん、元気になってもいいよ」

─お父ちゃんは、どうなの?
「お父ちゃんを喜ばせるんじゃないから、あっち行ってて」
─しょぼーん。
「お父ちゃんは、あとで喜ばせてあげるから待ってて」

合祀墓、樹木葬、海洋葬

お墓の相談をよく受ける。きょうは、その方の親戚の人が重篤。子どもはいない。「先祖代々」のようなお墓はいらない。どうしたらいいか、と。
子どもがいないのだから、墓守をしてくれる人はいなくなる。墓はそもそも必要ないと思うが、やはり合祀墓がいいのかもしれない。
それで提案。地元のお寺もいいけれど、各宗派の総本山の合祀墓がいいのでは、と。あるいは、次の3つのプラン。
高野山善光寺などの総本山の合祀墓
樹木葬
③海洋葬昨日、大山林地主が、訪ねてきた。その方に、春野の山ひとつを樹木葬の場してみたら、という提案をしたのであった。
また先日は、ある大手の冠婚葬祭互助会の社長秘書の方が訪ねてきた。やはり樹木葬をすすめてみた。
その企業は、ダイレクトにそういうことよりも、森を活かす、山里の活性化のための助成事業に資金を提供したいようであった。「こんど、代表を連れてきます」ということであった。

薪釜の外風呂

光はまったく春。なのに寒い、寒い。風が冷たい。まあ、それが春らしいんだけれど。
そろそろ動き出す。家回りの片付け。ごちゃごちゃしていた所を片づけて風を通す。氣を通すこと。氣が滞っていると、運気も滞る。

外風呂のマキ釜を移動して、ゆったりと露店風呂に入るようにした。ドラム缶風呂だと、さすがに煙もきもくで、近所迷惑。煙突スタイルの風呂なら問題ない。

ガスで沸かす風呂とちがって、マキで沸かす風呂は、体の芯からあたたまる。これはまったく体感が違う。とにかく湯冷めをしないのだ。まあ、いわば家でできる湯治みたいなものかな。昼でもゆったり入れるように、目隠しもやりなおさないといけないな。

松下倫子さんが、来訪。このたび、春野の山里いきいき応援隊に採用された。ワラビを採ったので、アク抜きに灰をほしいというので、薪を燃やした灰を差しあげる。

そうか、もうワラビが出てきているのか。ブルーベリー園の下は、ワラビだらけだ。今年は、早めに取りに行くかな。タケノコもそろそろだ。

子どもたちの自由な遊び空間にいいな

わーい、おねえちゃんがきてくれる」。友人の親子がまちなから来てくれた。あかりは朝から楽しみにしていた。おにいちゃんも参加してくれて、ほたる公園で遊んでいた。けれども、風が冷たくて寒い。氷のような雨も降ってきた。
「そうだ、焚き火しよう」。ということで、新しい拠点に移動。ドラム缶の中でぼうぼうと燃やす。まちなかじゃ、こんな遊びはできない。なかなかワイルドな展開となった。火があると、俄然、おもしろくなるものだ。あかりは、火の勢いに怖がっていたけれど。
やがて近所のお姉ちゃんたちもやってきた。中2のおねえちゃんは、マフラーを編んでいた。小5のおにいちゃんは、火の番から後片付け、ちゃんとやっていった。みんなえらいなあ。
ここは、子どもたちの自由な遊び空間にいいな。すこしずつ敷地を整頓して、カマド、ピザ窯もつくろう。さらには、ドラム缶風呂、スラックライン(細いベルト状のラインの上でバランスを楽しむ遊び)などを楽しめる場にしたい。川遊びもできるわけだ。このすぐそばに、田んぼだってできるかもしれない。

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中国の古典の『文選』が典拠

元号という言い方も、天皇という言葉も中国由来。日本人の名前も漢字である。日本発明のひらがなだって、漢字を元にくずして出来上がっている。

「令和」の元号の典拠とは「万葉集」という。それはまた、中国の古典の『文選』が典拠と。

『文選』は、奈良時代には、貴族の教養の書。日本文学にも重大な影響を与えている。

『文選』の中にある言葉は、日本語の語彙にたくさん生かされている。たとえば『文選』出典の熟語を挙げてみる。

英雄、栄華、炎上、解散、禍福、家門、岩石、器械、奇怪、行事、凶器、金銀、経営、傾城、軽重、形骸、権威、賢人、光陰、後悔、功臣、故郷、国家、国王、国土、国威、虎口、骨髄、骨肉、紅粉、鶏鳴、夫婦、父子、天罰、天子、天地、元気、学校、娯楽、万国、主人、貴賎、感激、疲弊…など(佐藤喜代治『漢語漢字の研究』明治書院 1998年)

葬式の時にお坊さんがよむお経は、すべて漢字(インドのサンスクリット語を中国訳にしたものを、そのままよんでいる)。

ということで、日本は中国から、宗教(仏教、儒教道教)、政治制度、礼、ものの考え方、教養・文化など多大な影響を受けている。

漱石の文章が取り立てて読みやすく、わかりやすい

文章は読みやすい、わかりやすいことがたいせつ。難しくて読まれず理解されなかったら、いくら美文や高邁であっても、伝わらない。
さて、漱石、紅葉、一葉は同時代人である。夏目漱石は、1867年生まれ。尾崎紅葉は、1868年生まれ。樋口一葉は1872年生まれ。この中で、漱石の文章が取り立てて読みやすく、わかりやすい。

漱石は、イギリスにも留学し、英文学を学んでいたので、英語に翻訳して日本語を組み立てるというところからきていたのか、落語家の語りの影響を受けたのか。そして、冒頭のいきなりの書き出しは見事。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使いに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」(坊っちゃん

尾崎紅葉は、「金色夜叉」で有名であるが、とても読みにくい。わかりにくい。美文といえば美文であるが。
「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠て、真直に長く東より西に横たはれる大道は掃きたるやうに物の影を留どめず、いと寂しくも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾りは、或ひは忙はしかりし、或は飲過ぎし年賀の帰来なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切さに小ちひさき膓は断たれぬべし。」(金色夜叉

樋口一葉の文章は、文字も文章も美しいが、平安時代の文学のようでもある。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前だと名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦いへもなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形なりに紙を切りなして」(たけくらべ
 
春野町でかつて古文書研究会という集いがあり、鎌倉時代の「天野氏文書」を解読していたが、箸休めに一葉の「たけくらべ」の直筆文字をもとに、学んだことがあった。

春野町の碩学、郷土史研究家の木下恒雄さん

連日の山里の鉄人めぐり。きょうは春野町の碩学郷土史研究家の木下恒雄さん(85歳)を訪ねた。

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北遠の林業史、お茶栽培の歴史、村の成立史、災害史など、多岐にわたって造詣が深い。「お茶の文明史」「山林の思想」「遠州林業史」「嫁取り婿取りばなし百話」「山国兵士の出征ものがたり」『山の人生 川の人生』「自然災害史」など、著作は30冊余になる。

今年になって、春野町の集落ができた背景となった王子製紙の歴史「山里にやってきた文明開化」をまとめる。

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堺屋太一の「平成30年」(上下)を読みたいが、書店にないと言うので、代わってAmazonで注文して持参したのだった。先日訪ねたときには、百田尚樹の「日本国紀」「承久の乱 日本史のターニングポイント」などを読んでおられた。

東京で警察官をされていた。30年前に故郷の春野に戻った。語り口はつねに力強い。固有名詞も数字も正確。滔々と熱のある話。お訪ねすると、ゆうに5時間、6時間のお話になる。

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向学心、研究心がすごい。たんねんに文献もしらべる。国会図書館から明治時代の新聞をコピーして送ってもらい、克明に災害の年表をつくり整理して書く。また、徹底して人に会って取材していく。一冊の本を仕上げるのに100~300人くらいに会う。テープレコーダなど使わない。メモして頭の中に記憶している。警察官時代の聞き取り調査の体験が元にある。

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現職時代、ワープロなど世の中にない時代、本を書くために和文タイプライターを独学で習得。活字を拾いながら打ち込んだというのには、驚かされる。

奉仕活動もすごい。毎年100本ものサクラの苗木を河川敷に植えてきた。10年以上も続けたというから、千本にもなる。幼稚園児のために芋作りも、20年以上もされていた。老人ホームなどで、ボランティアてお話の会もされている。

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あかりとも楽しく遊んでくださった。木のロボットまで頂いた。あかりが紡ぐ森のなかでのロボットさんと物語を楽しんでくれた。

 

 

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宮脇眞一さん(91歳)に、掲載された雑誌を届ける

「こりゃあ、いい死に土産になるわい」と言って喜んでくださった。

先日、取材させていただいた宮脇眞一さん(91歳)に、掲載された雑誌を届ける。媒体は、「すこやか長寿」(しずおかけん健康長寿財団 発行)だ。

お礼にとヤマメの甘露煮やらお茶やら切り干し大根やら、たくさんいただいた。

宮脇さんは、まさに「鉄人」と呼んでいいほどの方なので、記事を読んでくださればありがたい。

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ここを新しい拠点にしようと

ここを新しい拠点にしようと画策中。桜並木が美しい。鮎釣りとカヤックのできる気田川がすぐそば。
まずは毎日、片付けを30分。廃材は燃やす。ピザ窯作ったり。カマドをつくったり。ドラム缶風呂も復活させたり。盛りだくさん。

 

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おうちはもうないけど、あるの。宇宙の中にあるの

「ガオー、ガオー」とがんばって脅してみせた。あかりがおもしろがると思って。
でも、ちっとも面白そうな顔をしない。
「あとでお父ちゃん、あそんであげるからね」と言われた。

なので、お父ちゃんは一人でパソコンに向かって仕事する。あかりがやってきた。「ぬいぐるみごっこで遊んであげるから。うれしいでしょ」と言う。「うれしいよ、あそんでくれるの?」とお父ちゃん。

「ガオー」と脅す。すると、あかりはニコニコして「ごめんなさいは?」と要求する。すると、お父ちゃんは「ごめんなさい」と謝らなくちゃちゃいけない。なにかヘンだ。

ぬいぐるみ遊びをしていると、「ティガー(というトラのキャラ)のおうちは、なくなっちゃたの。もうないの」と言う。
──おうちがなくなっちゃったの?かわいそうだね。むかしのおうちは、どうしたんだろう。

「おうちはもうないけど、あるの。宇宙の中にあるの」。
──そうか。おうちはないんだけど、あるんだね。ないけどある、あるけどない。宇宙の中だ。

そば処の一休さんから、手打ちそばを頂いた。天ざるをつくって家族で食べていた時、突然、言い出した。
「あかりちゃんは、みんながいなくなってから、ひとりでニンジンを食べることにしたの」。
脈絡のないことばが、おもしろい。

はるばる水窪から訪ねてきてくださった。そして報徳思想。

それぞれの道で果敢に挑戦している方がいる。そうした方との出会いと語らいは、たのしい。

原邦司さんが、はるばる水窪(みさくぼ)から訪ねてきてくださった。水窪は、浜松の最北端、隣はもう南信州だ。
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原さんは、水窪の出身。まちなかに暮らしていたが、70歳を過ぎて、故郷の水窪の活性化のために移住した。たいへんなチャレンジだと思う。そして、移住してはや一年になる。

いつも、弁舌が見事。話に勢いとリズムがあって、心地よい。ためになる。「チーム水窪」と名付けて、ネットワーク作りをしている。池谷もそのメンバーに入れてくれている。

田舎越しには「経済門」と「道徳門」が必要。まず、仕事がなければ続かない。理念・道徳がなければ底の浅いものになる。基軸になるのは「報徳思想」だという。

報徳思想」は、二宮尊徳が、自らの実践で培った教えである。私利私欲に走らずに社会に貢献すれば、自らに還元されてくるという教えだ。遠州地方は、「報徳思想」が根付いた土壌でもある。
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二宮尊徳の教えには、たとえば「心田開発」(しんでんかいはつ)「一円融合(いちえんゆうごう)」「積小為大」(せきしょういだい)というものがある。

田舎起こし、地域の活性化といっても、自らの活性化からだ。地域が活性化されても、自分が疲弊していたのでは本末転倒。自らが活性化されてこそ、地域が活性化されると思う。池谷なりの理解であるが。

ということで、自己の心をたえず磨いていくこと。とくに家庭を大切にすること。それが「心田開発」と。

すべては縁で繋がっており、すべてが融合している。それが「一円融合」。コツコツと身の丈にあった身近なところから積み上げていく。それは、やがては偉大な成果となる。それが「積小為大」と。
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ともあれ人との出会いを大切にすること。期待にこたえようとして努力するなかに、心が開発されていく。

「頼まれごとは、試されごと」である。山里には、そうした機会がたくさんあるし、豊かな出会いがある。そう理解した。
(1〜2枚目は、ゴミを片付け中の池谷の新規拠点にて、3〜5目は掛川にある大日本報徳社の建物)

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「李柏文書」(李柏尺牘)をめぐって

西域(さいいき)、シルクロード楼蘭(ろうらん)、騎馬民族五胡十六国。仏教のやってきた道。なんとも、ロマンあふれる土地であり、時代である。
4世紀から5世紀のはじめにかけて、中国の北方に5つの異民族(五胡)が興亡した。その中で16の国が興廃し、「五胡十六国」と呼ばれる。
南方には漢民族の王朝である東晋(317~420)。西域を支配した国に前涼(301年 - 376年)」があった。その西域長史(いわはシルクロードの入り口の責任者)として、楼蘭の地に進駐した将軍が、李柏(りはく)という人である。


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その李柏将軍が、焉耆(えんき・カラシャール)王に送った紙の手紙の草稿が、現存していた。紙に書かれた最古の文書であるという。「李柏文書」(「李柏尺牘」重要文化財)という。
発見したのは、西本願寺の第22代門主大谷光瑞ひきいる大谷探検隊。かれらは、1902年から1914年にかけて3回に渡って西域(中央アジア)の仏教遺跡の調査、古写経の収集、発掘などを実施した。
この「李柏文書」は、1500年余も流砂に埋もれていたわけだ。紙に書かれたものとしては世界最古のものという。

 
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ちなみにこの頃から、中国に仏教が伝播していく。鳩摩羅什(クマーラジーヴァ、344年 - 413年)が活躍したのもこの時代。『妙法蓮華経』『阿弥陀経』『維摩経』『大智度論』 『中論』『摩訶般若波羅蜜経』など、日本仏教が基礎においている主要経典は、ほとんど彼が訳したものだ。
そういった背景も含めて、「李柏文書」というのは、現存する遺産としてたいへんな価値があると思われる。現在、龍谷大学に厳重に保管されている。


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先日、友人の書家、中島光風さんから連絡があった。一生に一度でいいから「李柏文書」を見たいという。彼女にアドバイスさせてもらった過程で、いろいろとこの文書について興味が湧いてきた。
光風さんは、来週、龍谷龍谷を訪ねて、この「李柏文書」を正式に見せていただけることになったという。「天にも昇る気持ち」と言っていた。

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