過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

漱石の文章が取り立てて読みやすく、わかりやすい

文章は読みやすい、わかりやすいことがたいせつ。難しくて読まれず理解されなかったら、いくら美文や高邁であっても、伝わらない。
さて、漱石、紅葉、一葉は同時代人である。夏目漱石は、1867年生まれ。尾崎紅葉は、1868年生まれ。樋口一葉は1872年生まれ。この中で、漱石の文章が取り立てて読みやすく、わかりやすい。

漱石は、イギリスにも留学し、英文学を学んでいたので、英語に翻訳して日本語を組み立てるというところからきていたのか、落語家の語りの影響を受けたのか。そして、冒頭のいきなりの書き出しは見事。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使いに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」(坊っちゃん

尾崎紅葉は、「金色夜叉」で有名であるが、とても読みにくい。わかりにくい。美文といえば美文であるが。
「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠て、真直に長く東より西に横たはれる大道は掃きたるやうに物の影を留どめず、いと寂しくも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾りは、或ひは忙はしかりし、或は飲過ぎし年賀の帰来なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切さに小ちひさき膓は断たれぬべし。」(金色夜叉

樋口一葉の文章は、文字も文章も美しいが、平安時代の文学のようでもある。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前だと名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦いへもなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形なりに紙を切りなして」(たけくらべ
 
春野町でかつて古文書研究会という集いがあり、鎌倉時代の「天野氏文書」を解読していたが、箸休めに一葉の「たけくらべ」の直筆文字をもとに、学んだことがあった。