過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【〝殺さない〟ことの実践で見えてきたもの】2025.11.30

【〝殺さない〟ことの実践で見えてきたもの】2025.11.30

「生きているものを殺さないようにしよう」と決めてから一年は経つ。

過疎地の森の中の古民家に暮らしているので、これを実践するのは、なかなか難しい。だが、試してみることにした。背景には、ブッダの教えがある。

契約ではないし、神仏を恐れてのことでもない。功徳を求めてでもない。

「殺さない生き方をしたらどうなるか」という単純な興味からだ。

「殺さない」と言うと、「肉や魚を食べているだろう」とか「野菜だって生きものだ」、「バクテリアだって」というような意見が出そうだ。

まあ、私はそこまで厳格ではない。

「今生きているものを自分の手で殺さない」ということだ。

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かつての私は、ハエが出ればハエたたきで即座に仕留めていた。蚊もそうだ。各部屋にハエ叩きを置いていた。殺したら「やったぞ」と達成感すらあったものだ。

殺さないと決めてから、ハエは殺していない。冬になったのでもう蚊は出ないから安心だ。

こう寒いとハエが弱々しく机に止まったりする。うっとうしいけれど、それを観察している。光に当たって羽の色が変わるさまを眺めている。美しいといえば美しいものがある。

ゴキもアシダカグモも、かつてなら忌み嫌ったものだが、そのスピード感、かたちのデザイン、逞しさに感心するようになった。

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夏のことだ。玄関の入口のそばにあるトイレに蜂の巣ができた。わがやのトイレに入った少年が、「ハチが襲ってきた!」と叫んで逃げてきたことがある。それでわかった。

ハチの数は次第に増えていく。これではトイレに行くたびに危険だ。

仕方がない、ホースで水をかけた。

ハチは逃げたものの、またしつこく戻ってくる。これを毎日繰り返す。2週間ほどして、ついにはハチも根負けして来なくなった。

おなじ夏にはネズミが現れた。これは困ったものだ。増えたら大変だ。そう思っていたら、台所にシマヘビが現れた。ネズミを飲み込んでしまったようだった。

私にはヘビはとても恐ろしいものだが、ネズミの捕獲者としてはありがたい。しばらくいつも台所にヘビは居た。まあ同居している感じで好ましく思った。やがていなくなったが。

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こうして、「殺さない」と決めたからこそ見えてきた、生命の相互作用の妙がある。

普通なら、「ハチは駆除」「ネズミは罠」「ヘビは恐怖」となるところを、“共生の物語”を見いだすことになる。

いろいろな生きものの小さな生態系ドラマ、私と生きものの関係が見えてくる。

「不殺生」を通して、小さな自然史を日常から発掘しているようでもある。
カラスが鳴いたり、虫が鳴いたりしていると、生きているありように寄り添えるような気がしてくる。いままで嫌だったハエや蚊やゴキブリも「ああ、いのちなんだな」と思えるようになった。

世界の見え方がすこしずつ変わっていくような。それに「自分もその生態系の一部でしかない」わけだし。いつか食われる側になるわけだし。

邪魔だと思っていた生きものたちに対する怒りや抵抗や恐怖が、少しずつ観察・共生へと変わっていく。闘病中の暮らしにおいて、外界の生命たちが“敵”ではなく“世界の一部”として立ち現れていく。