過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カタルシスのような念仏ワーク

念仏というと、どこか哀愁が漂い、日没のイメージがあるかもしれない。ほんらいの念仏は、阿弥陀仏をイメージする行法だが、法然親鸞浄土教の場合、となえる念仏である。

浄土宗だと、なーむあーみだーぶ。
浄土真宗だと、なまんだぶ、なんまんだぶ。あるいは、なまんだぶー。

称えてみればわかるが、穏やかで、ゆったりしている。浄土宗は木魚を打ちながらで、身体感覚的にいい。とくに、木魚のリズムが裏打ち(バックビート)で、これが心地いい。

真宗は、行法として位置づけられておらず、報恩感謝の念仏ということで、つぶやくように各自が称える。
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念仏にはいろいろな行法がある。たとえば、別時念仏、不断念仏。夜どうし木魚を叩いて、念仏をとなえるのだ。ただ、これを実践できる道場は、なかなか見つからず、まだ体験したことはない。

縁あって浜松で、高称念仏という行法をやっていた寺を訪ねたことがある。法林寺という。

お訪ねすると、本堂には、直径1メートルくらいの木魚があり、太さ15センチほどのバチがある。その巨大木魚にむかって、バチを思い切り叩きつける。

なーむ、あーみ、だー。
なーむ、あーみ、だー。
3拍子だ。

思い切りと声を出す。腹の底からとなえる。木魚にバチを叩きつけながら。いわば、剣豪の修行のような気合でやる。
これがじつにいい。

私がやってみた時、思い切りすぎてバチが折れて、折れたバチが飛んでいった。その先に大きな阿弥陀様の像があった。ひやっとした。
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ひとつのカタルシスワークだ。頭が空っぽになる。すかっとする。すごい行法と実感した。

心理療法としてもつかえると感じた。
イライラ、怒り、悲しみなど、そういった抑えこまれて出口のない鬱屈した感情が、解放されていくと思う。

この行法をぜひ復活して、定期的に体験できるようにするといい、と住職にお願いしたことがあった。
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ほんらいのお寺というのは、仏道の実践の場。そして、寄り合いの場、学びの場であるはずだ。法要や葬儀、先祖供養は二の次。

生きた人々のために、生きる支えとなる実践法を伝え、教えが伝えられなければ、もったいない。

伝統的な仏教の実践法を宗派はつたえているのだから、お寺はもっとひらかれて、一般の人が実践のできる道場になるといい。