過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけか

末期医療に入った友人の奥さん。もはや治る見込みはない。
医療というものは、治るために行うものだ。治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけかもしれない。
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延命治療というと、鼻から管を入れたり、胃ろう(胃に穴を開けて栄養補給する)もする。脱水なら点滴注射、血圧が下がれば昇圧剤など、さまざまな医療措置がある。
「延命治療しない」ということは、なにもしないということ。医療処置なし。そうすると、肉体としてこの世にいるのは2週間以内か。
友人は医者から「どうしますか」と聞かれてたという。その判断をしなくてはいけない。
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もはや治る見込みがない場合、かつては、食事をしなれば半月以内。この世を去る。水も飲まなくなれば、10日以内か。
さて、死に旅立つその過程は、苦しいものなのか、安らかなものなのか。そけは。脳内モルヒネが出て穏やかで安らかという説もある。
ぼくの祖母の場合、脳こうそくで倒れて家で亡くなったが、倒れて半月ほどだった。穏やかに逝ったと思っている。母も延命措置はしなかった。その過程は、うとうとして、苦しんだとは思われない。
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医療が深く関わることによって、かえって安らかになりにくい。死にゆく人は、治せないのだ。にもかわらず、医療措置を行うことで、かえって死ゆく人を苦しめることになるのかもしれない。
いのちの火が消えかかっているときは、お腹は減らない、のども渇かないとも言われる。
「脱水」になっても、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がり、ぼんやりとして夢うつつの安らぎに至るとも言われる。
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ともあれ、点滴でつなぎなから、あと2週間。そのように友人はきめたようだ。
その間に、妻のために丁寧に自作の棺桶を作る。木製の骨壷をつくってもらう、ぼくのほうは写真など探して加工してフレームに収める。またいろいろな友人がサポートさせてもらうことになる。