過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

納得のいく看とりとおくり

田中さんが来訪。妻の「看取りからおくり」に至る体験。自ら柩(ひつぎ)作りから手作り葬の話。これまで、田中さんの看とりから葬儀に至る流れを書いブログを編集して印刷して差し上げた。

これから、妻の故郷の鹿児島に遺灰を持っていき、海洋散骨。そして、沖縄、石垣島、そして台湾の旅だそうな。
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ぼくはこの3年間、「納得のいく看とりとおくり」というテーマで、連続講座とカタリバを開いている。こんどの講師は、田中さんの体験をメインにお願いしようと思う。

そして数々の看とりを行ってきた遠藤医師、できれば地元のお坊さんも。3月に開催。場所は、春野町のデイサービス「みんなの家」。

平穏で納得のいく「看取り」のためには、そこにいたる日々の暮らし、平穏死を迎える心構えが大切。
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普通は家人が苦しむと救急車を呼ぶ。すると、病院に搬送される。延命治療が施される。 もうすでに肉体はあの世に逝きたいと思っていても、医療では、なんとか生きながらえる処置をする。酸素吸入をしたり栄養点滴をしたり水分補給をする。

「1分1秒でも生きながらえさせること」が医療の使命である。安らかにあの世におくることは、医療の使命ではない。そうなると、医療に関わるとなかなか平穏な死を迎えにくい。

もう肉体が死にたい、というのはわかる。それを無理して、胃ろうをしたり栄養補給するのは、かえって本人を苦しめる。拷問ですらある。
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数々の死に逝く人の症例を見て、栄養も水分も与えなければ、脳内モルヒネが出て、そのまま眠って平穏死が迎えられるという医師がいる(中村仁一医師「大往生したけりゃ 医療とかかわるな:幻冬舎新書)。

田中さんの場合も、奥様には水分も栄養も補強しないと決めた。そして眠り続けて、10日目に安らかに逝った。その間に田中さんは手作りの柩を作って、心の準備をされた。
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不思議なことに、今度、事業継承するデイサービスは、その田中さんの奥様が利用者としておられた。

本人は利用者ではなくて、スタッフという気持ちで、送迎も受け入れず自分で歩いて通ったのだった。田中さんと奥さん、ご近所の方たちをお呼びして、火鉢を囲んで唱歌を歌う会などを開いたことがあった。8年も前のことである。その時の写真だ。

デイサービスという施設を地域の寄り合い場、ネットワークの拠点、お年寄り子供お母さんが出会う場として、作っていきたいという話を田中さんとしたのだった。

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