過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

妻がいよいよ末期医療に入ったと相談受ける

「妻がいよいよターミナルに入った」と、友人が相談に来られた。60代からのアルツハイマーで、いまは施設におられる。2年前には、心筋梗塞になり危ぶまれた。今回こそ、「いよいよだ」という。
もはや食事はできなくなり、栄養は点滴でつないでいる。 点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数、7日から10日ぐらい(世界で最長でも、14日間のようだ)。
いずれにせよ、いつかは亡くなるわけで、「手づくり葬」の打ち合わせに来られたのだった。


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すべて手づくりでいく。
まずは、「柩」(ひつぎ)。天竜杉で作る。釘を使うと火葬場では嫌がられるので、接着剤でいくか。いや、杉でもかなり重たくなる。
では、厚手のベニヤはどうだろう。曲線を生かしたデザインが可能だ。しかし安っぽい。ならば、表面は自分で漉いた和紙(これがとても美しい)を貼りめぐらせればいい。
「葬儀」。身内だけ、親しい人だけとする。坊さんも神主もよばない。自分たちだけで、行う。戒名など無用。
奥様が好きだった井上陽水の「少年時代」をかける。そして、カタロニア出身のチェロ奏者、パブロ・カザルスの「鳥の歌」。
「鳥たちは、空に舞い上がり、PEACE、PEACEと鳴くのです」というカザルスの語る言葉は、胸に染みてくる(カザルスの亡くなる2年前に国連で語り演奏したもの)。
「枕元の絵」。仏像など必要ないか、と聞くと、いらないという。では、友人(玉利直江さん)の絵を飾ろう。過去・現在・未来と枯れて散っていく蓮の花。「うん、それがいい」ということになる。
「骨壷」。陶器のものでは土に還らない。木製のものを作る。これは、木工の得意な友人に依頼した。「手元供養」の入れ物。美しい木の遺灰入れを作る。


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世の中、お金を出せば、それなりの荘厳なセレモニーは可能である。 
しかし、もっともたいせつなことは、「心がこもっているかどうか」に尽きる。
それには、やはり「手づくり」がいい。手づくりの過程にこそ、いろいろな思いが、心が、気持ちが入っていく。通じていく。
自分と友人が手作りで、葬儀を行う。身内だけで親しい友人だけで語り合いしのぶセレモニーとする。そんなことを打ち合わせしたのであった。

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