アイガモの難しいのは、生きものなので、環境に適応しなければ、生きていけないこと。だから、この明け方の寒さに、4匹、死んだ。前回のときは、5羽だった。
放鳥した一日目がいちばん難しい。やはり明け方の寒さに耐えられないためと思う。暖を取るための箱も置いてあるけど、広大な水田の中で、ヒナたちがそれを探しあてるのは難しい。
このあたり、来年の課題だ。慣らし運転をしながらすこしずつ、水田に拡大していくやり方がいいかも。いまは納屋の育雛箱でしばらく飼ってから、広大な水田に放す。来年は、水田の中に小さくしきった空間をつくって、そこに放す。暖を取るスペースもつくっておく。そうして、水田に少しずつならしていって、5日目くらいに、仕切りを取り外して放すという方法がよさそう。
アイガモ農法で、もひとつ難しいのは、成鳥したときどうするのかということ。稲の穂が出た時、アイガモを水田に放しておくと、成長したアイガモは穂を食べてしまう。そうなると、お米が収穫できないので、陸にあげる。
しばらくは、わがやの敷地に小屋を作って飼うことになる。50羽も飼うとなると、これがたいへん。エサ代もすごくかかる。とりあえず確保したくず米は、300キロ。それでも足りないかもしれない。その成鳥は、来年の田植えの時に使えない。植えたばかりの苗を食べてしまうからだ。
ということで、成鳥は処分せざるをえない。野外に放てば、飛べないアイガモは生きていけない。野生動物の餌食になる。ということで、多くは解体して食肉とされる。動物愛護の人は、可哀想だとかいう。しかし、アイガモの第一の目的は水田に生える雑草の除草だ。アイガモを鑑賞するために、田んぼに放しているわけではない。
まあ、どうしても可哀想という人には、「どうぞ差し上げます。家でたいせつに、何年も飼い続けてください」ということにしている。それはたぶん、難しいことだろう。そのあたりが、アイガモ農法のむつかしいところ。
今年の農業のテーマは「いのちつながる農体験」「いのちめぐる農体験」。それは、「殺さない」農業ではない。微生物も植物も動物も、生を終えて、次の生につながっていく。循環していく、つながっていく。生と死が連続していく。めぐっていく。だから、アイガモさんも、お米さんと同様、ありがたく食としていただく。そのリアリティも、しっかり観ようといいうことだ。だから、解体のワークショップも開催するつもり。