過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死後がある、生まれ変わりがある、と仮定してみる

あかりを見ていると、表情が亡くなった母によく似ている。亡くなってから一年後に生まれたのだ。母の生まれ変わりじゃないかなあ、と思うことがよくある▲死後、来世があるのかないのか。……そんなこと、よく考える▲事実、生まれ変わりだとしよう。しかし、本人が覚えているわけじゃない(過去世を覚えているという人が、たまにいるけど、ほとんど思い込み、刷り込みなんじゃなかろうか)▲本人が過去世を覚えていなければ、過去世は存在しないとおんなじこと。

死後がある、生まれ変わりがある、と仮定してみる。生まれ変わりがあるとしても、本人は過去世を覚えてはいないので、過去世は存在しないと同じこと▲つねに、この生は一回限り。過去世もないし、来世もない、ということになろうか。

この人生は、一回かぎりで、おしまい。来世はない。あったとしても、この人生を覚えているわけはないので、つねに人生は、一回限り▲そうして、この一日は一日限り。この瞬間はこの瞬間限りのこと。いまこの瞬間しか人生はない、ということができようか▲いまをかしこく生きる。いまをしっかり生きる。生きるとは、それしかないのかもしれない▲しかし、このこと、まだ腑に落ちているわけではない。いろいろ探求中。ということで、文章にしてみた。文章にしてみると、甘いところ、論理が破綻しているところ、考えのいたらないところが、見えてくると思うので。