過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【私の祈り体験】2025.8.30

【私の祈り体験】2025.8.30

かつては、いろいろ祈ったり拝んだりしたものだ。これは私の10代のときの体験。

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祈りは叶うのかという話。具体的かつ現実的に。

真剣に祈ると、叶うことがある。
祈るというのは強く念じることなので、かなりの集中力がつく。いわゆる「引き寄せの法則」に近いところがある。
「なんとかしてください」という祈りから「なんとかなる」という気持ちになり、やがて「なんとかする、実現する」という確信にシフトしていく。

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ただ、叶うときには、実はその問題自体がどうでもよくなっていることが多い。
自分が課題だと思っていたことが、実は大した問題ではなくなる。
それは実感したことだ。でも、最初からそうはならない。

そのためには、やっぱり数をたくさん唱え続けることが必要だ。
私は1年間で「南無妙法蓮華経」を200万遍ほど唱えたことがある。1万遍唱えるのに、約3時間半かかる。
木造アパートでは、大家さんに「お題目の声が響くから静かに」と言われた。確かに迷惑になるので、日蓮正宗のお寺に毎日通い、心ゆくまで唱えた。

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日々唱え続けていくと、自分のことが見えてくる。
子どもの頃の自分や、格好つけたり、よく思われようとしたり、
愚かで情けない自分がはっきりと見えてくる。
過去の自分を振り返って、「わあ、恥ずかしい」という思いがよく訪れた。
これが「観心」というのか、「大荘厳懺悔」というのか。

『観普賢菩薩行法経』には「衆罪如霜露 慧日能消除」と説かれている。
諸々の罪は、霜や露が日の光に当たって消えるように、智慧の力で除滅される、と。自分のどうしようもなさやダメな部分が、唱題行によって浮かび上がってくる。

その心の痛み、恥ずかしさ、愚かさに気づかせてもらえたことが大きいかもしれない。それが「懺悔」なのかもしれない。
そうすると、一時、ずいぶん成長したような気がした。

「祈念力」

祈念力集中
実現自確信
課題非大問題
唱数必要数

百万遍題目
観心懺悔行
罪如霜露消
慧日照成長

書き下し文

祈念(きねん)力(ちから)は集中(しゅうちゅう)し
実現(じつげん)は自(みずか)ら確信(かくしん)す
課題(かだい)は大(たい)なる問題(もんだい)に非(あら)ず
唱数(しょうすう)は必要(ひつよう)の数(かず)

百万遍(ひゃくまんべん)の題目(だいもく)
観心(かんじん)懺悔(ざんげ)の行(ぎょう)
罪(つみ)は霜露(そうろ)の如(ごと)く消(き)え
慧日(えにち)は成長(せいちょう)を照(て)らす