過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【祈れる場があるといい】2025.8.31

【祈れる場があるといい】2025.8.31

どんな人でも気軽に祈れる場があるといい。
新興宗教のような団体に入ると、教義や組織に縛られて不自由になる。そんな宗教団体とは関係なく、自由に祈れる場がほしい。

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この前、天理教の本部神殿を訪れた。

ものすごく清浄な空間で、心が磨き上げられるような感覚が伝わってくる。
3157畳もの広さで、中央に「おぢば」と呼ばれる空間があり、その中に「甘露台」がある。  形のない「甘露台」に向かって、360度、みんながそれぞれ「みかぐらうた」を唱え、手を振って拝む。

「あしきをはらうて、たすけたまえ 天理王のみこと」と唱える。  ご本尊がない。形がないから、互いに拝み合うようなかたちになる。
そこでは、100人のグループ、数十人、数人、あるいは一人で、思い思いに祈っている。  

私のような非信徒でも、特別な許可なく自由に出入りして祈ることができる。とても参加しやすい雰囲気だった。
100人が一斉に唱える「みかぐらうた」は迫力があった。

そしてたった一人の女性が「おぢば」の前で椅子に座って唱えていた声は、まるでジブリのアニメのような響きで、じんわりと心に染み入り、聞き惚れてしまった。  
日本にこんな場があるんだ、こんな宗教もあるんだと、感心した。 
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インドでは、お寺は祈りの場そのものだ。みんなが心身を集中して祈っている。そんなお寺が、日本のコンビニのよう にそこかしこにある。  

お寺は本来、祈りの場、拝む場であってほしい。  

でも、現実には参拝に行っても、住職が「何か御用ですか」と敷居が高い。お寺が住職の生活の場になってしまっているからだろう。
あるいは「拝観料を払わないと本尊に参拝できない」とか、「祈祷札」の定価リストが商品のように示されていたりする。まあ、寺の維持にはお金がかかるから、必要なことなのかもしれないけど。 

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ある時、まったくふらっと訪ねたときに心から歓迎してくれて、食事まで出してくれたのは、ベトナムのお寺だった。
それ以来、ベトナムのお寺との交流は続いている。交流イベントを企画したり、ビザ申請のサポートをしている。

信徒の方が「池谷さん、お元気ですか。心配しています。近くにいたら、毎日でも食事を作って持ってこられるのにね」と心から見舞いに来てくれた。