過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山野草を摘む日々

毎日、山野草を摘んで飾る日々。どこを歩いても、すぐに花に目が行くようになった。
とくに美しい花でなくてもいい。いわゆる「雑草」だ。そのへんに生えている、だれも目に止めない、踏んづけられているような花たち。それが、じつはなかなかいい。
きょうは、ぺんぺん草、マンネン草、ハハコグサヘビイチゴを摘んできた。写真は、ぺんぺん草とハハコグサ。どこにでも、咲いている。
そろそろ、ドクダミに白い花が咲く。煎じて飲むお茶になる。ヨモギは乾燥させて、お灸(隔仏灸)のためのモグサに使う。

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もしや脳梗塞かしれない

─もしや、脳梗塞かもしれない。一過性脳虚血発作かもしれない。血管が詰まると血液の流入が止まり、脳に酸素や栄養が行き渡らなくなる。 脳の神経細胞が壊死すると、さまざまな障害が生じる。
そうだとしたら、救急車を呼ばないと、手遅れになる。早く処置すれば、詰まりの原因となる血栓を溶解するクスリが効く。回復する可能性はある。でも、いま救急車よぶのは大げさかなあ……。
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ひとり暮らしの利用者さんを迎えに行く。いつもより発音が不明瞭。マスクしているせいかなあ、と思っていた。朝、畳の上で転んだとも言っていた。
ちょっと疲れ気味程度で、普通に動けるし会話もいつもと変わらず。施設についても、トイレも一人で行ける。うがいもできる。大したことはない。
だが、やりとりしていると、やっぱりすこしヘンだ。ろれつがよく回らない。本人もそのことを自覚していた。ベッドに横になってもらう。手足のしびれなどを確認。
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ケアマネに連絡をとり、遠方の家族に連絡をとる。家族はクルマでこちらに向かうという。しかし、かなり時間がかかりそう。
その待ち時間が、あとあとの障害に及ぶかもしれない。やりとりをしていると、「やはり救急車をよんでください」という家族の依頼で手配した。
10分で救急車が到着。救急救命士がいくつかの病院を候補にあげて、家族と電話でやりとり。N病院に搬送。てきぱき。救急救命士って、なかなかいい仕事だなと認識した。
あとから、家族から報告あり。軽い脳梗塞だった。迅速な処置で助かったと感謝された。大事に至らなくてよかった。
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数年前だが、ぼくの母が、姉のところに泊まっていて、トイレで意識がぼんやりしたらしい。発声もヘンだという。姉からそんな連絡があったが、「一日、様子を見よう」ということにした。すると、翌日から、右半身が麻痺してしまった。もう二度と回復しなかった。
知人のお坊さんは、すこし体調がヘンだなあと気づいたが、翌日、クルマで出張。運転していると、クルマが左へ左へと曲がりそうになる。おかしいなぁと気づいたときには、脳梗塞だった。あとあと片麻痺が残った。
山里の友人は、教会で聖書を読み上げる係をしていた。ミサの参列者から、「読み方がいつもちがってヘンだ。病院に行ったほうがいい」と言われた。それで受診すると、頸動脈に血栓がたまっていたらしい。放置していたら、命にかかわることになったらしい。直ちに手術してことなきを得た。
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すこしでもヘンだなあと思ったら、即、救急車を呼んだほうがいい。「すこし様子を見てから……」などといっているに、血管が詰まって、左右の身体が麻痺してしまうことがある。
ひとり暮らしでも、この利用者さんのように、デイサービスに通っていれば、こちらで日々の変化がわかるので、対応ができる。
問題なのは、山里のひとり暮らし。お年寄りで移動手段もないことから、交流が難しい。そのあたり、オンラインの診察などができるようなシステムが望まれる。そこにいくまで、クリアーすべきことはたくさんあるのだが。

ZOOM 5月16日(土)20時「蓮如の布教と創価学会」

5月16日(土)20時「蓮如の布教と創価学会

ZOOM楽座 5月16日(土)20〜22時
蓮如の布教と創価学会」。

浄土真宗創価学会の教えはずいぶんと違う。水と油だ。しかし、じつはかなり共通項がある。
蓮如の布教のありようを軸に、創価の座談会と在家仏教のありようを語りあってみたい。

①「本尊」六字名号とお題目
②「となえる」南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経
③「お経」「正信偈」と「法華経
④「集いあう場」聞法道場と座談会場。
⑤「リーダー」非僧非俗と在家。

ゲスト:嶋田やすながさん
真宗の寺院に生まれた。蓮如の時代に真宗の寺院(道場)となった。仕事は薬剤師。
北陸の念仏道場などについて語ってもらう。

参加方法:ZOOMにアクセス
https://us02web.zoom.us/j/5409124232
パスワード不要、クリックすれば参加可能。ハンドルネームでもオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。

詳しくはnote参照
https://note.com/raxza/n/n8253f0a28fcd

「外来種」たち

いま施設にたくさん飾っているのがこのコスモスのように黄色い花。オオキンケイギクというらしい。あちこちの山道に盛んに咲いている。
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これは、「外来種」。「外来種」というのは、もともとその地域にいなかったのに、人為的に他の地域から入ってきた生物。 生態系や経済に重大な影響を与えるので、嫌われる。しかし、愛らしいので親しみを感じてる。
かんがえてみれば、「外来種」といえば、ほとんどが外来種ばかり。そもそもお米だって外来種だったろう。
菊なんかもそうだし。セイヨウタンポポもそうだ。
生きものだと、アメリカザリガニ、セイヨウミツバチ、ブラックバス、たくさん。
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アワダチソウなどは、いかにも外来種という雰囲気だった。
40年以上も前のこと、アワダチソウが、たくさん繁茂している時、不気味で異様に感じた。
アワダチソウは、毒を出して(アレロパシー)、他を排撃して進展していったという。ススキなどは、敗退してしていった。ところが、その毒が自らも破壊することになって、アワダチソウ自らが衰退する羽目に。
やがて、日本の風景にあうようになってきた。いまでは、ススキとよく共存している。

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今年はじめてヘビとの出会い

あかりを幼稚園に迎えに行く。
門を出たところで、「ん?」。
なにか長い枝のような。「ん?」。
よく見ると、シマヘビだぁ。
ぞぞぞわっとした。あかりも見つけて、うわーーー、こわーーいと泣き出した。
ヘビは、こちらの様子に気づいて、しゅるしゅるしゅると逃げていった。
そのときをイメージして描いたあかりの絵。
ネコの上にいるのがヘビだ。
ヘビがネコを呑み込んでいるのか、ネコがヘビを呑み込んでいるのか、よくわからないけど。
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ともあれ、今年はじめてヘビとの出会い。
山里に暮らしているので、ヘビによく出会うのはたしかだ。
移住したての時、玄関前にマムシがとぐろを巻いていて、気づかずふんづけそうになった。
帯状疱疹が顔と頭に出て、コンタクトレンズをはめられず、よく見えない時、枝と思ったものが、カマ首を持ち上げた。あれは、ヤマカガシだったか。
台所の奥でネズミが子どもを産んだ、その子どもを食べにヘビがやってきて、次々の呑みこんでしまった。そして、しばらくキッチンに滞在していた。
稲刈りの時、手鎌で刈っていた時、マムシが現れた。
アイガモ農法で、春まで田んぼにカモを飼っていて、そのカモが卵を産んだ。その卵を呑み込みにアオダイショウがやってきて、飲み込んだ。その様子を観察したこともあった。
その他、ヘビとの出会いは限りなくある。いつも、凍りつきそうになる。

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老人介護と保育所の併設へ

保育ママ(いわば、保育施設に準じたもの)の認定通知書が届く。
施設としての広さ、採光やら通風、セキュリティ、感染予防、さらには保育してくれる人の面談など。これまで、行政から延べ15人来訪。介護保険課、社会福祉課、健康長寿課、さらには協働センターなど。
認可が下りたということで、保育事業を開始。今週から保育士の資格あるスタッフに来てもらうことになる。
ゆくゆくの理想としては、高齢者、幼児とお母さん、障害者、そして地域の人たちが寄り集まれる場所にしていくことなんだけど。現実的には、かなり難しい。ま、一つひとつ、できることは、突破していくだけ。

99歳のおばさまとの歌

きのう、4か月ぶりに99歳のおばさまが来られた。
耳が遠いので筆談になる。だが、笑顔と笑顔、手を握ってのコミュニケーションでやりとりはできる。無邪気な明るい方で、施設が明るくなる。たのしくなる。
 
耳は遠いが目はいいので、歌詞を拡大して歌をうたうことにした。
「浜千鳥」が好きなので、それを歌う。
その方の歌うペースに合わせて、ギターを伴奏する。そして、利用者の皆さんもそれに和す。
けっこう、みんなで歌える。
 
じゃあ、白秋の「雨がふります、雨がふる」はどうかな。これも歌えた。じゃあ「花嫁人形」。これも歌えた。
じゃあこれはどうかな。
 
「青葉繁れる桜井の……」(桜井の訣別、大楠公の歌:落合直文作詞)。6番まである。
すごい、ちゃんとみんな歌える。歌詞を覚えている。
この年代の方々は、尋常小学校の頃に、この歌をたくさんたくさん歌わされて、身に入っている。
 
こういう歌だ。
鎌倉幕府を倒さんとする後醍醐天皇の挙兵によって、楠木正成(くすのきまさしげ)は、獅子奮迅の戦いをみせる。
しかし、負け戦となり。まさに、死を覚悟しての出陣である。正成は息子の正行(まさつら)を呼ぶ。
 
「父は討死覚悟で出陣する。おまえは故郷へ帰れ。老いた母のもとに帰れ」と諭す。
正行は「父上とともに、死出の旅の供をいたします」と健気である。
正成は言う。「おまえは、はやく立派に成長し、国のために天皇のために仕えよ」と諭す。
そして、父子は泣く泣く別れゆく。
富国強兵、軍国主義を支えた歌のひとつである。
 
青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か
 
正成涙を打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫へ赴かん
彼方の浦にて討死せん
いましはここまで来)れども
とくとく帰れ故郷へ
 
父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは
未)だ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅
 
いましをここより帰さんは
わが私の為ならず
己れ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為め
 
この一刀は往し年
君の賜いし物なるぞ
この世の別れの形見にと
いましにこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん
 
共に見送り見返りて
別れを惜む折りからに
復も降り来る五月雨の
空に聞こゆる時鳥
誰れか哀と聞かざらん
あわれ血に泣くその声を

花の推移がたのしめる。ちょっとした無常観を味わえる。

利用者さんの送迎の時に、山道で花を探す。

山道に花が咲いていれば、ちょんと切っていただいてくる。まあ、だれも見向きもしない雑草と呼ばれるものばかりだが、こうして飾ってみると、清々しく可愛い花たち。

日々、山道を観察していけば、多分、一年間、山野草が見つけられる。そして、まったくお金かかからない。花の推移がたのしめる。ちょっとした無常観を味わうことに。

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ZOOM楽座「心理療法〜自己啓発セミナー〜ニューエイジを語りあう」

ZOOM楽座「心理療法自己啓発セミナー〜ニューエイジを語りあう」

日時:5月23日(土)20時から22時 ZOOMにて
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語り合いの趣旨:

自己啓発セミナー〜ニューエイジなどの流れを俯瞰したい。関わった当事者とのやりとりから、具体的、実践的に語りあってみたい。音楽療法心理療法(サイコドラマ)などについても。

背景をざっくりと。

まずは、アメリカで起きたヒューマンポテンシャル・ムーブメント(人間性回復運動)やヒッピーの流れから、自己啓発セミナーのビジネスが日本に上陸。

35〜40年前は、自己啓発セミナーが盛んだった。ライフダイナミックスライフスペースiBDやビーユー、さらにはフォーラム(ブレイクスルーテクノロジー:ワーナー・エアハードのest Trainingの流れ)など。

自己啓発セミナーブームが去って、そのあとに来たのは、「アウト・オン・ア・リム」(シャーリー・マクレーン)、バシャールなどのチャネリングニューエイジブーム。そして、サイババアガスティアの葉などのインドの神秘系、さらにはレイキヒーリング、オウムの動きなど。瞑想や霊性などの探求世界。

しかし、オウム事件後は、精神世界系はしばらく衰退。やがてスピコンが動き出し、引き寄せの法則など、自己実現のイメージワーク。

いまは原始仏教から発するマインドフルネスや気づきの瞑想(ヴィパッサナー)の潮流に向かう。これらは、とてもざっくりした話で、ヌケはとてもおおいけれど。

ゲストの貫田さんと池谷との対談で進めていく。参加者から自由に発言、座談会形式に。

とくに大上段に構えるでもなく、講座や講演会でもない。なにか結論を出そうとしたり、なにか特に主張するものでもない。まあ適当に、これらのことを素材にも語りあって交流しようじゃないかというところ。
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ゲスト:貫田弦邑(ぬきた・けんゆう)

作曲家、心理セラピスト。 M&Pワークショップ(音楽とサイコドラマを融合させたワークショップ)主宰。信州大学人文学部(心理学専攻)卒。これまでCM、アニメ、ゲームなど数百曲を制作。小椋佳高橋洋子(エヴァンゲリオン)とコラボCD制作や前世療法(山川紘矢・亜希子監修)、引寄せの法則などCDブック多数。

上智大、韓国国立総合芸術大学などで音楽療法、演劇療法の教授経験。 2016年よりサポート校の声優アーティストコース主任として、ドラマセラピーやミュージックセラピーを応用した授業を行なっている。 また、併設されている放課後等デイサービスでも 発達障害の子供たち向けにドラマセラピー、ミュージックセラピーを行なっている。 現在、子ども食堂支援プロジェクトや免疫アップ体操のプロジェクトが進行中。
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アクセス方法:ZOOMにワンクリック
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワード不要、クリックすれば参加可能。
顔出しはご自由。ハンドルネームでもオッケー。発言しなくとも、傍聴だけでも可。
でも、はじめに一言、挨拶いただければありがたいかなぁ。

ZOOM楽座「魂の螺旋ダンス読書会⑤」〜異安心(いあんじん)を恐れず語る念仏〜

ZOOM楽座「魂の螺旋ダンス読書会⑤」〜異安心(いあんじん)を恐れず語る念仏〜

日時:5月24日(日)21時から23時

テーマ:「この島の精神史における親鸞の意義」

語り合いの趣旨:

『魂の螺旋ダンス』の第三章 超越性宗教を取り上げる際、スキップするわけにはいかない親鸞

でも、ここが結構重荷。なんかごちゃごちゃめんどくせー分野。 そこで、楽に自由に語り合えるお相手として、直感的に、坊主バーの羽田さんにゲストをお願いした。 僕は何故、親鸞をそこまでひいきしてるのか。 対談を通して、人を疲れさせない形で明らかにしたいと、僕がひそかに目論んでいるのはソコ。(文責:長澤靖浩)

※異安心(いあんじん)とは、正統とは異なった異端の教義をいう。浄土真宗においてよく使われる。親鸞が説いた「安心(あんじん)」とは、ちがっているぞとして排斥されたりする。有名な「歎異抄」には「信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす」と弟子の唯円が末尾に書いている。親鸞の教えのエッセンスであり、すなわち「慰安心」をただすための書でもある。(文責:池谷)

ゲスト:羽田高秀

浄土真宗本願寺派僧侶というのは、おこがましい。 バーテンダーというにはおこがましい京都坊主バーのマスター。 そして、機械語時代からのガラパゴスプログラマー。(本人の自己紹介文)

アクセス方法:ZOOMにワンクリック

https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワード不要、クリックすれば参加可能。

ハンドルネームでもオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。ま、一言、はじめに挨拶いただければありがたい。

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ZOOM楽座、つづいています。これからも続きます。飽きるまで。

問題なのは、やりとりが盛り上がり、楽しいので深夜にまで及ぶこと。

昨日は1時半、その前日は2時半に。

一方的な講座や講演ではなくて、自由なやり取り、論議が起きるとさらにおもしろい。

ただ、拝聴します、聞いているだけというのも、もちろんいいんだけど、なにか一言、反応、反響があるとありがたい。そこから、また話がつながっていくので。

池に石を投げる。ぼちゃん。寂として声無し、波紋広がらず、というと、はりあいがなくなる。

かといって。発言を強いてもいけないし、そのあたりが難しいところ。

ま、回を重ねていまうちに、いいやり方が見つかってくと思う。

 

    

ZOOM楽座「魂の螺旋ダンス読書会⑤」〜異安心(いあんじん)を恐れず語る念仏〜

日時:5月24日(日)21時から23時

テーマ:「この島の精神史における親鸞の意義」

語り合いの趣旨:

『魂の螺旋ダンス』の第三章 超越性宗教を取り上げる際、スキップするわけにはいかない親鸞

でも、ここが結構重荷。なんかごちゃごちゃめんどくせー分野。 そこで、楽に自由に語り合えるお相手として、直感的に、坊主バーの羽田さんにゲストをお願いした。 僕は何故、親鸞をそこまでひいきしてるのか。 対談を通して、人を疲れさせない形で明らかにしたいと、僕がひそかに目論んでいるのはソコ。(文責:長澤靖浩)

※異安心(いあんじん)とは、正統とは異なった異端の教義をいう。浄土真宗においてよく使われる。親鸞が説いた「安心(あんじん)」とは、ちがっているぞとして排斥されたりする。有名な「歎異抄」には「信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす」と弟子の唯円が末尾に書いている。親鸞の教えのエッセンスであり、すなわち「慰安心」をただすための書でもある。(文責:池谷)

ゲスト:羽田高秀

浄土真宗本願寺派僧侶というのは、おこがましい。 バーテンダーというにはおこがましい京都坊主バーのマスター。 そして、機械語時代からのガラパゴスプログラマー。(本人の自己紹介文)

アクセス方法:ZOOMにワンクリック

https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワード不要、クリックすれば参加可能。

ハンドルネームでもオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。ま、一言、はじめに挨拶いただければありがたい。

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ZOOM楽座、つづいています。これからも続きます。飽きるまで。

問題なのは、やりとりが盛り上がり、楽しいので深夜にまで及ぶこと。

昨日は1時半、その前日は2時半に。

一方的な講座や講演ではなくて、自由なやり取り、論議が起きるとさらにおもしろい。

ただ、拝聴します、聞いているだけというのも、もちろんいいんだけど、なにか一言、反応、反響があるとありがたい。そこから、また話がつながっていくので。

池に石を投げる。ぼちゃん。寂として声無し、波紋広がらず、というと、はりあいがなくなる。

かといって。発言を強いてもいけないし、そのあたりが難しいところ。

ま、回を重ねていまうちに、いいやり方が見つかってくと思う。

 

    

ZOOM楽座「蓮如の布教と創価学会」

ZOOM楽座「蓮如の布教と創価学会」。
日時:5月16日(土)20〜22時
テーマ:「蓮如の布教と創価学会
語り合いの趣旨:
浄土真宗創価学会の教えはずいぶんと違う。真宗は他力の教え。創価の基礎は、日蓮日蓮は「念仏無間」(念仏は無間地獄に堕ちる)と説く。
「水と油」のようだ。しかし、じつはかなり共通項がある。蓮如の布教のありようを軸に、そこを語りあってみたい。
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浄土真宗が北陸というフィールドにひろく伝播したのは、親鸞(1173〜1263)の滅後から200年後。それは蓮如(1415〜1499)の力に依る。
蓮如の布教は、「御文章」と呼ばれる門徒への手紙による導きがあった。「道場」が基盤にあった。門徒は、寄り集まって「御文章」を読み、教えを学び、暮らしのことを語り合った。
ほんらい、寺とはサンガ(聖なる集い)の場。寄りあい、学びあい、励ましあう場。暮らしに活力と慰めをもたらす場であった。まさに開かれた「道場」であった。死者の供養や鎮魂の場ではなく、生きている人のためのものであった。
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浄土真宗創価学会も、他を捨てて「一本」に絞る。専修だ。本尊のありよう、聖典の基盤、生きていくための教え、人と人との分かちあいから布教していったところなど、似ている。
思いつくままに、ざっと共通点をみてみよう。
①「本尊は一つ」
真宗は、南無阿弥陀仏の六字名号の軸。創価学会は文字漫荼羅(南無妙法蓮華経を中心に諸尊が集う)。
②「となえる」
真宗は、南無阿弥陀仏。名号という。称名。
創価学会は、南無妙法蓮華経。お題目という。唱題。
創価学会は、自力的。祈りの力を大切にする。
真宗は他力であり、念ずることの功徳はもとめない。そもそも救われており、報恩感謝の念仏とされる。
③「お経、聖典がきまっている」
真宗でよまれるお経は「正信偈」と「和讃」。学ぶのは、親鸞の著作と蓮如の「御文章」。
創価学会でよまれるお経は「法華経」(方便品と如来寿量品の一部)。学ぶのは、日蓮遺文と池田大作名誉会長の指導・講演録など。
④「サンガ=集いあう場」
真宗は「聞法道場」。創価学会は「座談会場」。
まず建物や寺院があったわけではない。真宗だと農家の納屋や、広間を借りてはじまってゆく。
創価学会は、座談会運動から展開していく。六畳ひと間のようなところに、信者が寄り集まり、ともに祈り信仰体験を語る。信徒が増え資金もあつまってきたとき、寺院や会館が作られていった。
⑤リーダーは在家
真宗には、もちろん僧侶はいる。しかし「非僧非俗」という在家であり僧侶でもある。創価学会も、在家の者がリーダーとして人々を導いていった。
……その他、方位方角にこだわらない、加持祈祷はしない、他の神々や諸尊を祈らないなど、共通点はいくつも見いだせるかもしれない。
ただ、信仰の色彩的には、真宗は「絶対他力」(阿弥陀さんにおまかせ)。創価学会は、「自力」(祈念の力)の要素が強い。
つきつめた論議ではなく、これらを素材に自由に語り合いましょう、というところ。
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ゲスト:嶋田やすながさん
真宗の寺院に生まれた。寺は、鎌倉期には天台宗であったが、蓮如の時代に真宗の寺院(道場)となった。仕事は薬剤師。
北陸の念仏道場の画像などを歴史的な資料(親鸞聖人や蓮如上人の六字名号や御文書、一向一揆の際の信長と石山本願寺との和解書、その後、秀吉からの京都への帰還許可書)を示しながら、真宗の信仰のあり方を紹介してもらう。
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参加方法:ZOOMにアクセス
パスワード不要、クリックすれば参加可能。ハンドルネームでもオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。

5月9日のZOOM楽座は、日蓮の実像について語り合う

5月9日のZOOM楽座は、日蓮の実像について語り合う。ちと専門的。
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日蓮は数々の御遺文を残した。そして、なかでも名文に偽書が多い。諸法実相抄、生死一大事血脈抄、御義口伝、日女御前御返事、佐渡御書? 
普通、ニセモノには力がないものが多いものだが、日蓮の場合には、偽書のほうに力と迫力があったりする。不思議の一つ。
日蓮のたましいをチャネリング日蓮が霊界あるいは浄土から下りてきてその人に語る)して書いたのか。
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そもそも思想というものは、ある土台から発展させてゆくもの。純化、集約、極端化して行く場合もある。そのひとつの結晶が、御義口伝ともとらえている。
仏教には膨大な経典がある。八万法蔵とも言われる。しかし、釈迦は一冊も書いたことはない。みな弟子であり、孫弟子であり、さらには数百年後の人があらわした。当然、偽書である。勝手に作った。
すごいのは、永遠不滅のブッダが出てくる(法華経=如来寿量品)、さらには大日如来大日経)が出てきたりする。
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それらは、釈迦に仮託した大思想運動ともいえる。
その意味では、日蓮思想は、日蓮に仮託した唱題本覚思想のような気もする。
それはそれで、おもしろい。だれが書いたのか、はたして日蓮が書いたものか、ということは当然大切。しかし、心に響くものはなんでも採用していくというあり方もいのではないか、と。そんなことも語り合うことになるかもしれない。

「ZOOM楽座」開催中

「ZOOM楽座」というオンライン座談会を開催している。
テーマを決めて、ゲストを呼んで、池谷がインタビューあるいは司会しながら進めていく。ワークショップも。
双方向であり、座談会だから、人と人が交流できる。参加者は自由に発言。顔出しも自由、本名でもハンドルネームでも参加できる。
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これまで10本くらい実行してみた。5月だけで5本。やがて、月に10本くらいやるようになりそう。年間100本くらいになるかも。
なにしろ、コロナ禍時代、テレコミュニケーションしかないわけだ。オンラインで、全国、全世界の人とお喋りができる。
これまで、遠くはアメリカのテキサス、マウイ島、インド、屋久島からの参加があった。明後日は、バリ島に滞在の方との楽座である。
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ありがたいことに、家にいるだけでいい。移動の必要はない。会場はいらない。費用はかからない。物理的な手間がいらない。人手もいらない。
楽しいので努力がいらない。ひとつ実行すると、次の企画が生まれる。そして、また次の企画へとつながる。
その先に何が起きるのか?
わからない。予測もしていない企画や、ビジネスの可能性もあるかもしれない。わからない。わからないなかで、船出をしている。
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というわけで、近々の企画から。
5月9日(土)20時:日蓮の実像はなんであったか
5月10日(日)19時:魂の螺旋ダンス④読書会─キリスト教のローマ国教化について
5月16日(土)20時:蓮如創価学会
日程調整中:自己啓発セミナー、ニューエイジブメント、サイコドラマ
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おもしろい人がいたら紹介してください。池谷がインタビューしていきます。ゲストは、それに答えながら話が進んでいきます。仏教、瞑想、宗教、心理学、インド、音楽、田舎暮らし、生き方探求、看とりと送りなど、なんでも。

虹色の小鳥 なぜなぜ虹色

赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実をたべた
白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い 白い実をたべた
青い鳥  小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた
(作詞:北原白秋、作曲:成田為三)
 
お風呂でこれを歌った。あかりも、一緒に歌う。
「次は? もっとないの?」
 
─もっとあるよ。じゃあね。
黒い鳥  小鳥 なぜなぜ黒い 黒い実を食べた
黄色い鳥  小鳥 なぜなぜ黄色い 黄色い実を食べた
 
「ピンクは? 肌色は? 虹色は?」
 
というので、次々と色の名前をつけて歌ったのだった。
 
虹色の小鳥 なぜなぜ虹色 虹色の実を食べた
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そのうち、赤いサンダルを持ってきて、
「はい、お客さん10円ですよ」という。
 
─おや、やすいね。くださいな。はい10円。
「はい。ありがとうございます」
 
─じゃあ、次に黄色いサンダルをくださいな。
「黄色いのは、特別だから売れません。これは、お母ちゃんのためにとっておきます」
 
─なあんだ。じゃあ、ボロボロのサンダルをくださいな。
「お客さん、ボロボロのサンダルを買う人なんていませんよ」
 
そうたしなめられた。

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