過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

映像を見ながらのおしゃべりが楽しい

巨大スクリーンにした。2畳分くらいある。パソコンからビデオプロジェクタで写す。これくらい大きいと見応えが違う。
午後は30分の映像タイム。YouTubeからピックアップしてくる。先週は、「水戸黄門特集」「綾小路きみまろ」「島倉千代子物語」など。

冬のソナタ」は、見終わったので、今日は、そのロケのメイキングの番組。
次の予定は「おしん」「昭和のコマーシャル」「戦前戦後の女優・男優」「戦前戦後の映画の予告編」などを放映予定。
みなさん、映像を見ながらのおしゃべりが楽しいわけだ。

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おとうちゃんだよ。べろべろばー、おっぽんぽん

「じんせい、おしまいだー」
そんなこと、あかりが言っていた。
それを聞いたおかあちゃん
「だれがそんなこと言ったの。きっとおとうちゃんでしょう」。
─ちがうよ。そんなことおしえてないよ。きっと幼稚園だよ。
そう言うと、あかりが、
「おとうちゃんだよ。べろべろばー、おっぽんぽん」。
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あかりとゲームをやっていると、勝手にルールを変えて勝ってしまう。
─それってアベさんみたいだよ。
そうと言うと、
「お父ちゃんがアベさんだ」
と言い返された。
「アベさん」という言葉が、ルール無視、自分勝手にすすめる、隠れてよくないことをする、責任をとらない、カッコよくない、という意味あいで、おとうちゃんとあかりとの間で使われだしている。
かあちゃんから、「ヘンなこと教えないで」と叱られた。
写真は、タンポポの綿毛をつけてあそんでる。3枚目は、ドクターヘリの練習機がきたので、ヘリをみて喜んでる。
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テーマ:「日蓮の実像はなんであったか」

ZOOM楽座の案内

テーマ:「日蓮の実像はなんであったか」

日時:5月9日(土)20時〜22時

参加方法:ZOOMにアクセス
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワードなど不要、クリックすれば参加可能。ハンドルネームオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。
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語り合いの趣旨:

鎌倉時代に教えをひろめた日蓮の実像を探求する。日蓮は、飢饉、疫病、戦乱で死屍累々の世の中にあって、なぜに世の中が乱れるのか、それを救う道はあるのかを探求していく。

そして、正しい教え(日蓮からすると法華経)をひろめることで、世が救われると確信した。しかし、そのために生涯、死罪や流罪に遭うなど、苦難の道であった。

その弟子から数々の分派が生まれたが、「法華宗=日蓮宗」としてひとくくりされる。しかし、それぞれの分派において、日蓮像はずいぶんとちがう。日蓮を本仏と仰ぐ(釈迦よりも究極の仏)宗派もある。

戦後ひろまった新興宗教で最大のものは、創価学会である。それ以前は、立正佼成会霊友会、あるいは天理教や大本などもひろまった。

創価学会公明党の母体であり、政権与党にいる。参院選挙で800万票以上を集票する力がある。小選挙区制のなか、自民党を支えている。

創価学会は、日蓮正宗(総本山:富士大石寺)という宗派の在家団体から出発した。他に、法華講顕正会もある。創価学会は、いまは日蓮正宗に破門され、独自路線を歩んでいる。

教えは、日蓮正宗=富士門流=日興門流の流れである。教義の中核は、日蓮本仏論日蓮こそが究極の本仏、釈迦はその弟子)と板曼荼羅(富士大石寺にある彫刻漫荼羅)にある。

日蓮正宗とたもとを分かっても、教学的には、いまだに日蓮本仏論と漫荼羅中心思想が根底にあると思う。今日曲のものと言ってきた板曼荼羅(富士大石寺にある彫刻漫荼羅)については、もはや重要視しなくなってきている。

そうした富士門流=日蓮正宗創価学会法華講顕正会などの抱く日蓮の思想と教義を検証してみたい。

教学理論として、文献学的にも、さまざまな角度から論じてみたい。創価学会の方、日蓮正宗の方、顕正会の方、日蓮宗の方の参加も期待するところ。論議はかなり専門的なところになるかもしれない。

今回はその第一回:これを皮切りにシリーズで展開していきたい。
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ゲストは、犀角独歩(さいかく・どっぽ)さん。
本名:いわたちせいごう (岩立盛郷)。

一九五五年、熱烈な創価学会 員を両親に東京に生。三十五歳のとき、創価学会を脱会し大石寺に移る。宗務院教学部・内事部『大日蓮』編集室嘱託。四十歳で棄教。脱会者支援を始め、日本脱カルト研究会入会、元会報編集長、元理事。 日蓮宗現代宗教研究所等で執筆。日蓮の実像を追及。いまは主に『宗教問題』に執筆。

ホームページ:
http://iwatachi.com/
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/

テーマ:「魂の螺旋ダンス④」─キリスト教のローマ国教化について

ZOOM楽座の案内

テーマ:「魂の螺旋ダンス④」─キリスト教のローマ国教化について

日時:5月10日(日)19時〜21時

参加方法:ZOOMにアクセス
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワード不要、クリックすれば参加可能。ハンドルネームオッケー。顔出しはご自由。傍聴だけでも可。
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語り合いの趣旨:

「魂の螺旋ダンス」の著者である長澤靖浩さんの語りを軸に展開していく。
これまで、部族シャーマニズム神道国家神道など、語り合ってきた。

今回は、「キリスト教のローマ国教化」について。
エスの教えは、カルトとして弾圧されてきたが、ローマ帝国にひろがり、西洋の精神世界の土壌になっていく。

しかし、その過程で、「もっとも弱き者、貧しきもの」に寄り添ったイエスの教えが、国家権力に結びつき異端を弾圧し、人々を支配する装置となっていく。そのあたり、異端として排斥されてきたカタリ派の歴史を素材に語り合いたい。
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ゲスト:Bija Yoga OSHOのサンニヤシン。フランスの観光ガイド。弾圧された異端カタリ派の写真による観光ガイド。

2010年からフランス南西部在住。築200年の石造りの家で田舎暮らし。宿を営みカルカソンヌ周辺観光ガイド。17歳から中国チベットを皮切りに世界放浪の旅をはじめる。瞑想体験に戸惑い糸口を求めてインドを放浪。

21歳からインド和尚コミューンで約10年間滞在。ミステリースクールに在籍し多数のエナジーワークでのグループの通訳「オーラソーマ」「サイキックパームリーディング」等のセッションギバーを務める。

1995年にはアメリセドナの和尚アカデミーで2ヶ月間に及エソテリックサイエンストレーニングを受講。現在は2019年から始めた一眼レフカメラに奮闘中。

https://note.com/raxza/n/nde7a96d0dac7

喉が枯れたことに気がついた

朝から、声がガラガラしている。
そして、あかりもハスキーボイス。
風邪かな。も、もしやコロナかも……。
ふたりとも熱はない。
どうしたんだろう。
思い当たることは……。
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毎日、怪獣の追いかけっ子をしていたのだった。
ガオー、ガオーと叫んで追いかける。
あかりは、キャーッと叫んで逃げ回る。思いきり声を出す。
それを何度も何度も繰り返す。
短距離走ダッシュみたいだ。
新聞紙を丸めて、座布団を思い切り叩きまくった。
えいえい!はいはい!それそれ!と大声を出しながら叩く。
あかりは、ものすごく楽しいらしい。
ローエンのバイオ・エナジェティックス(生体エネルギー法)みたいだ。緊張の解放、エネルギーアップになる。
それで、喉が枯れたことに気がついたのだった。
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声が枯れたり、つぶれることで思い出したことがある。
高校時代は弓道部だった。毎日、「看的」(かんてき)をやらされる。
矢が的に当たれば「あったーーーりー」と叫ぶ。はずれれば「ぜん」(ざんねんの意味)と叫ぶ。
そのために、大声を出す練習した。
すぐに声が枯れる。それでも練習を続ける。
あるとき、スコーンと声が抜ける。
どんなに大声を出しても、声は枯れなくなる。声が思い切り通るようになるのだった。
あれから50年近く。いまでは大声を出したら、すぐに声が枯れてしまう。

ZOOM楽座、3本 8時間

昨日はZOOM楽座、3本となった。なんと8時間も司会をやっていておしゃべりしていたことになる。内容はとても濃いものであった。

これだけのイベント主催するとなると、普通はたいへんだが、家にいておしゃべりしているだけので、楽ちんである。

コロナ禍のおかけげで、こうして遠隔地同士の人が語り合える時代になった。こんな山里の過疎地にいても、全世界とやりとりができるというわけだ。

①「真宗がなぜに広まったのか」
日蓮の本尊と六字名号とのちがい。創価学会の座談会運動と、蓮如の展開した道場について。

島田さんと独歩さんとのやりとり。3名でやり取り。10時〜11時。1時間。

②「ヨーガについて語る」
14時から16時。2時間。日本のおけるヨーガの草分け、佐保田鶴治さんに師事された渡辺昧比さんがゲスト。20名余の参加。

③「魂の螺旋ダンスの読書会」
民族国家宗教について。シャーマニズムと祭祀、統一国家神仏分離と神社合祀。死を見据えて生きることについてなど。19時半から22時半。5時間。30名ほどの方が参加。

次回は5月5日の20時から、「真宗がなぜ広まったのか」その歴史的な背景と信仰のありようについて語り合い。

その次は。「日蓮の思想、本尊と戒壇、さらには創価学会の展開について」。こちらは、日程は、未定。近い内に。

 

渡辺昧比さんの感想

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1399938293538791&set=a.105778859621414&type=3&theater

あびさんの感想
hhttps://note.com/abhisheka/n/n7562f1806001?fbclid=IwAR3MAb5Duo5wWNl1u93ENuUnG4qYpMjV8fhp8FfEvWbjO_gJC8vzw6IHvQw 

ZOOM楽座「真宗の教えと歴史」5月5日(火)20時〜22時

ZOOM楽座は、次は真宗について論じてみたい。
日時:5月5日(火)20時〜22時
参加方法:ZOOMにアクセス
テーマ:「真宗の教えと歴史」
真宗の教えは、仏教の文脈の中でもきわめて独特。修行はいらない。すでに救われている。そういう教えである。そして、日本の仏教界では、圧倒的に信徒(門徒)の勢力が大きい。
その歴史的な流れを語り合いながら、日本的な仏教のありようをみていきたい。
 
池谷が真宗に注目する視点は、次の4つ。
①「信仰と修行」
すでに救われている、往生まちがいなしという他力本願。ゆえに修行は一切必要なし。神祇不拝であり、方角や加持祈祷などを排して、徹底した本願力にたつ。
念仏を称えて浄土に往生するのはもちろんだが、現世において往生するという教え。すでに救われているのであり、念仏は報恩感謝でもうすもの。
本尊は南無阿弥陀仏の六字名号。密教などのように感応道交や修行の礼拝対象ではない。すでに救われているのであり、その救いのシンボルとしてあるのか。
 
②「なぜ真宗は弘まったのか」
神霊や神秘的な力が恐れられた時代に、なぜ弥陀一尊の信仰がひろまったのか。
思想の中核は親鸞だが、室町時代蓮如真宗を弘めた。その布教のありようとしては、御文章という蓮如の数々手紙、自らがあらわした南無阿弥陀仏の六字名号。「正信偈」として親鸞のあらわした著作から抽出したお経。親鸞の和讃など。蓮如の布教のありようについて、知りたい。
 
③「連帯の力」
道場において、南無阿弥陀仏の六字名号を中核として、みながより集まり、ともにお経を読み和讃を歌う。そこには、とくに僧侶がいたわけではない。まさに、非僧非俗としてリーダーがいた。そこは寺院というよりも、聞法の場であり道場であった。
戦国時代にあって、信長、秀吉、家康がもっとも恐れたのが一向一揆。加賀の一向一揆は、100年もの間、封建領主を追い出してしまった。その連帯の力の背景はなにか
④明治以降の真宗
明治以降の富国強兵策のなかにあって、神仏分離令による廃仏毀釈で既成仏教は破壊されてきた。そのなかで、真宗は抵抗し、さらには巧妙に立ち回ってその地歩を固めてきた。そのあたりの動向を知りたい。
 
ゲスト:嶋田やすながさん
真宗の寺院に生まれた。その寺は、はじめは天台宗であったが、のちに蓮如の時代に真宗の寺院(というよりは道場)となった。仕事は薬剤師。
ZOOM楽座では、真宗の次は、日蓮宗創価学会の流れを論じてみたい。次のゲストは、犀角独歩さん。

そもそも「数える」って、どういうことだろう。

─お父ちゃん。お月さまを見に行こうよ。
「ああ、いいよ」。
またしてもリヤカーに乗せて、散歩に連れていく。湯たんぽとシュラフではさすがにあついので、あかりは大きなコットンのシーツ(インドで買ったやつ)にくるまった。
空にはぼんやりと半月が浮かぶ。河原では、野宿のテントがいくつか見える。キャンプファイヤーをしている。
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リヤカーを引いて歩いていると、あかりが聞く。
「お父ちゃん、1たす3はいくつ?」
─うーんと、4だよ。
「ぴんぽんぴんぽん」。
「2たす3は?」
─5だよ。
「ぴんぽんぴんぽん」。
あれれ、ちゃんとわかって、「ぴんぽんぴんぽん」って言っているのかなあ。聞いてみた。
─じゃあ、あかりちゃん、3たす2は?
……無言。
─あれれ?3たす2は?
また聞いた。すると、
「お父ちゃん、あかりちゃんが聞いているんだよ。お父ちゃんが答えるんだからね」。
そう言い返してくる。
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「1たす3は4」とおぼえていても、「3たす1は4」というのがわからない。
あるいは、「1たす1たす1たす1は4」というのもわからないのだろう。
無数のやり方で4という数が出てくる。そのことは、きっとわかってない。
頭の中は、「1たす3は4」に占領されているだけ。
すなわち、「数える」ことがまだわかっていないのかもしれない。
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じゃあ、そもそも「数えるって、どういうことだろう」。
「数える」とき、たとえば10個のまんじゅうがあるとしたら、目だけでは数えにくい。目だけでパッとカウントできるのは、3つか4つくらいまでだろう。
それ以上になると、ひとつひとつ指を折るとか指差すとか、うなづくとか、身体動作が伴わないと難しい。あるいは、頭の中でそろばんをはじくとか、頭の中で1つ2つと数えるとか。一対一対応というか。
そういうことをしないで、ただ目だけでカウントしようとすると、とたんに難しいことがわかる。
ともあれ、ひとつの答えに至る方法は無限にあって、いろいろなやり方で導き出しているわけだ。
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ここから論旨は飛躍する。
宗教というのも、いろいろな導き方、アクセスの仕方があって「これだけが正しい」「このやり方でないと駄目だ」ということになると、頭はそれにまったく占領されてしまう。
すなわち硬直した生き方になってしまう。それは、とても強固。しかし強靭ではない。いろいろな変化に対応できないのではないか。そんなことを感じた。
といって、ぼくのように、いろいろな方面からアクセスしようとすると、収集がつかなくなるということもあるわけだけれど。
 
 

ほんとうに深い気づき、心身からの心底の気づきが起きれば

仏教の基本は、発心して、戒律をたもち、修行を重ねていくと悟りに至るというのが基本。
しかし、一念(一瞬の心)が定まった時、すでに実現しているという考えもある。長い修行はいらない、瞬時に悟れる、と。
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法華経」には「妙法華経の、一偈一句を聞いて、乃至ないし一念も随喜せん者には、我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」(法師品)
一瞬でも喜ぶことがあれば、悟りを得る、という。
華厳経」には、「初発心時便成正覚」と。
「便」は「たちまち」と読ませる。発心(悟りを得たいという心)をはじめて起こした、その瞬間に、たちまち悟りを得ている、と。
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日蓮には、「受持即観心」ということばがある。
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(観心本尊抄
受持すれば、自然に悟りに至るとよめる。
親鸞には、「すなわち摂取不捨の利益」と。すなほち、とはたちまちという意味だ。
「 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」(歎異抄
「念仏もうさんとおもいたつこころの起こるとき」その瞬間に、永遠の安らぎの世界に至っている、と。
道元も、似たようなことは述べているが、「発心正からざれば万行空しく施す」(学道用心集)ともいう。
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ほんとうに深い気づき、心身からの心底の気づきが起きれば、その瞬間、すべてがひらける。悟りに至るのかもしれない。
しかし、そのためには、いろいろな修行、体験、難行苦行、遠回り、徒労になる努力など、積み上げねばならないのかもしれない。

一冊目は「白川静 常用字解」(平凡社)

ブックカバーバトンのリレーが来た。きょうから7日間、ブックカバーのその内容を少し紹介することになっている。
一冊目は「白川静 常用字解」(平凡社
甲骨文字から、殷・周時代の青銅器の銘文などの過程で、いかにして漢字が成立していったのか。甲骨文字があらわす原型の文字など、とても興味深い。
たとえば「明」という漢字は、日と月であり、太陽と月の明るさと思っていたら、そうではない。甲骨文字では、窓に月が現れることを表している。すなわち、かそけき明るさであり、神の訪れである、と。
そんなところを探求していくのが、楽しい辞典。

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「子どもたちとの対話」。クリシュナムルティ

本の紹介2冊目。「子どもたちとの対話」。クリシュナムルティが子どもたちの質問に対して答えている。

結論とか、これが正しいという教義や教えなど一つもない。たえず、生の全体性を生の過程を理解せよ、気づけと伝えている。教育の本質は、教えることではなく、学びつづけることにあるという。

クリシュナムルティの静寂な境地は、なんど読んでも読んでもぼくにはつかめていない。つかんだと思うと、逃がしている。以下、すこし引用する。
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学ぶとはどういうことか。本当に学んでいるときには、一生を通して学んでいて、特に学ぶ教師はいない。

あらゆるものが教えてくれる。枯れ葉、飛んでいる鳥、香り、涙、豊かな者と貧しい者、泣いている人、女の微笑み、男の傲り。あらゆるものに学ぶ。

指導者も思想家も導師もいない。生それ自体が師で、絶えず学んでいる境地にいる。
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「見出す」ということは、結論に達することではない。智慧とは何かについて結論に達したとたんに、もはや智慧をなくしている。

智慧のある心とは、決して結論せずに絶えず学んでいる心だ。

重要なのは愚かしさを理解すること。

日常生活に表現される愚かしさ――どのように振るまうか、隣の人、貧しい人、豊かな人や会社員をどのようにみなしているのかを見て、理解する。その気づきこそが愚かしさを断ち切る。

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ZOOM楽座「瞑想の深みと変性意識」5月1日(金)19時〜 ヒンドゥーの瞑想、原始仏教の瞑想、密教の瞑想、そして幻覚性植物による変性意識体験

本日ZOOM楽座です。「瞑想の深みと変性意識」
日時:5月1日(金)19時〜21時
ヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)、マジックマッシュルームマリファナの変性意識体験─
ゲスト:ながのとしべえ
現在、インドに滞在中。インドと日本とのやりとりになります。ながのさんは、この10年間、インド、ネパール、タイ、マレーシアを奥さんと二人長期旅行中。
この間、ゴエンカ方式のヴィパッサナー瞑想の集中コース(10日間、あるいは一ヶ月)を何度も体験。またマリファナマジックマッシュルームによる変性意識も体験。
ヒンドゥーの瞑想、原始仏教の瞑想、密教の瞑想、そして幻覚性植物による変性意識体験など語ってもらいます。なかなか貴重な話になります。参加ご自由。

クルマの脱輪 助けてくれたのは86歳の元気な方

狭い山道を行くと、行き止まり。戻ろうとしたら、後輪が側溝にずるっと落ちてしまう。ローにしても車輪が空回りするだけで脱出できない。タイヤが摩擦で焼けるだけ。
これはこまった。だれか助けを呼ばなくちゃ。
近くのお寺さんに飛び込んだ。しかし、奥様しかいない。あいにく住職は、外に出ている。
─そうね。若い人いうと、80代のSさんしかいないわね。
奥様がそう言うので、Sさんを訪ねて助けを求めた。クルマの後ろから押してもらうが、動かない。
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仕方ない。JAFを呼ぶしかないなあ。
でも、JAFが来るまで、クルマが置きっぱなしになるので、この敷地の人に挨拶しよう。
訪ねた地主のIさん(86歳)は、耳が遠い。奥様が出てこられて通訳してくれた。
そこに住職も戻ってきた。
Iさんと住職と後ろから押してくれた。住職の子どもたちも見守る。
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ぼくは馬鹿者で、うっかりしていた。このクルマは4駆。そのスイッチをいれることを忘れていた。で、4駆にして押してもらう。するとなんなく、脱出できたのだった。やれやれ。
Iさんは、86歳というが、日々薪割りをする。こういうクルマの脱出のとき、すすんで板切れを持ってきて、押してくれたりして、すごい。
山里は、休日でも若い人はいない。お寺の住職くらいかな。お年寄りしかいないという、いまの過疎地の現状。

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「人生いろいろ」「東京だよ おっ母さん」

デイの施設で、毎日、歌をリードしている。童謡と唱歌がメインだけど、戦前・戦後の歌謡曲もいい。

いま曲を練習しているのは、島倉千代子。「人生いろいろ」(作詞:中山大三郎 作曲:浜口庫之助)。その人生の辛苦も重ねて、とても重みがある。歌そして、表情が可愛らしい。

「東京だよ おっ母さん」(作詞:野村俊夫 作曲:船村徹)。これも大好き。ほとんど親孝行しなかったぼくには、泣ける歌だなぁ。

こんな難しい曲でも、ギターでドとソの3本の開放弦だけで、伴奏してしまう荒ワザでやっている。

youtu.be

これで幼稚園の送り迎えに行ってやろう。

タリバン風のマスクにしてみた。呼吸が苦しくなくていい。

ハンカチで30秒で作れる。ゴム紐をホッチキスで止めて、耳にかける。ちょっとアヤしいか。

あかりは、となりであきれている。明日から、これで幼稚園の送り迎えに行ってやろう。

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