本の紹介2冊目。「子どもたちとの対話」。クリシュナムルティが子どもたちの質問に対して答えている。
結論とか、これが正しいという教義や教えなど一つもない。たえず、生の全体性を生の過程を理解せよ、気づけと伝えている。教育の本質は、教えることではなく、学びつづけることにあるという。
クリシュナムルティの静寂な境地は、なんど読んでも読んでもぼくにはつかめていない。つかんだと思うと、逃がしている。以下、すこし引用する。
-------------------
学ぶとはどういうことか。本当に学んでいるときには、一生を通して学んでいて、特に学ぶ教師はいない。
あらゆるものが教えてくれる。枯れ葉、飛んでいる鳥、香り、涙、豊かな者と貧しい者、泣いている人、女の微笑み、男の傲り。あらゆるものに学ぶ。
指導者も思想家も導師もいない。生それ自体が師で、絶えず学んでいる境地にいる。
-------------------
「見出す」ということは、結論に達することではない。智慧とは何かについて結論に達したとたんに、もはや智慧をなくしている。
智慧のある心とは、決して結論せずに絶えず学んでいる心だ。
重要なのは愚かしさを理解すること。
日常生活に表現される愚かしさ――どのように振るまうか、隣の人、貧しい人、豊かな人や会社員をどのようにみなしているのかを見て、理解する。その気づきこそが愚かしさを断ち切る。