過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

これぞ「看板」

この酒の看板がなんとも、風格と趣がある。これぞ「看板」。〈まちなか〉に出たとき、いつも寄らせてもらう二俣(ふたまた)の町にある「マルカワの蔵」。本島さん夫妻が川島酒店の古い蔵をギャラリーとして活用している。いつもあたたかく迎えてくれて、ほっとする。

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中川一政の書がいい

画家である中川一政の書がいい。一番目のものは、大徳寺を開山した大燈国師の遺誡。大燈国師は、悟りを開いてから、京都の五条の橋の下で乞食をしていたんだそうな。二番目のものは、比叡山を開いた最澄の願文。19歳で比叡山にこもって修行するときの、いわば誓いのような言葉。

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石原莞爾の「最終戦争論」を読んでみた

満州事変は、軍部(参謀本部)が謀略し、独走して勝手に起こした。参謀本部は、三権分立を越えた「統帥権」(とうすいけん)をもっていたような存在であった。「天皇」の名のもとに、好き勝手な動きを起こしていった。

やがて、満州帝国を作り上げてゆく。そして、それは内閣が追認する。この満州の支配が、アメリカとの戦争を起こす引き金となる。

参謀本部はどのような意識で国家の拡大をしようとしていたのか、それを見てみたい。

参謀の中核にいたのが、石原莞爾(いしはらかんじ)である。彼の講演録(昭和15年)である「最終戦争論」を読んでみた。

天皇」を世界の盟主とする共同体をつくろうという意識であり、また、熱心な日蓮信徒でもあった石原は、いわば日蓮の予言によって、最終戦争が起き、やがて世界は統一され平和な世界が訪れるとも述べている。

以下、一部引用する。
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天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという、人類の最も重大な運命が決定するであろう。

即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定する。悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。
(中略)
明治維新で藩侯に対する忠誠から天皇に対する忠誠に立ち返った如く、東亜連盟を結成するためには民族の闘争、東亜諸国の対立から民族の協和、東亜の諸国家の本当の結合という新しい道徳を生み出して行かなければならない。その中核の問題は満州建国の精神である民族協和の実現にあります。
(中略)
この大事業を貫くものは建国の精神、日本国体の精神による信仰の統一であります。

(中略)
日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行(ほんげじょうぎょう※池谷注:久遠本仏の釈迦によって、末法において布教を託されたとされる菩薩)が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。 世界の大戦争があって世界は統一され本門戒壇が建つという予言をしておられる。
(中略)
日蓮聖人が前代未聞の大闘争につき、最初は利益のために戦いつつも争いの深刻化するに従い、遂に頼るべきものは正法のみであることを頓悟して、急速に信仰の統一を来たすべきことを説いているのは、最終戦争の本質をよく示すものである。
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石原莞爾 最終戦争論 昭和15年5月29日 京都義方会に於ける講演速記より)

幣原喜重郎と平和憲法

青空文庫」に、幣原喜重郎の演説内容があった。彼は、平和憲法制定のときの、総理大臣である。
平和憲法は、連合国から押しつけではなくて、日本から提案した。幣原がマッカーサーに対して、日本は戦争をしない、戦力を持たないということを提案した。それでマッカーサーは感激して、いまの平和憲法ができたと言われている。
彼の「新憲法に関する演説草稿」から、一部引用してみよう。
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新日本は厳粛な憲法の明文を以て戦争を放棄し、軍備を全廃したのでありますから、国家の財源と国民の能力を挙げて、平和産業の発達と科学文化の振興に振り向け得られる筋合であります。
従って国費の重要な部分を軍備の用に充当する諸国に比すれば、我国は平和的活動の分野に於いて、遙に有利なる地位を占めることになりましょう。
我々は他力本願の主義に依って国家の安全を求むべきではない。我国を他国の侵略より救う自衛施設は徹頭徹尾正義の力である。
我々が正義の大道を履んで邁進するならば、『祈らぬとて神や守らん』と確信するものであります。
その所謂正義の規準は主観的の独断ではなく、世界の客観的な公平な与論に依って裏附けされたものでなければなりませぬ。これは迂濶な遠路のように見えても、実は最も確かな近道であります。 (幣原平和財団発行『幣原喜重郎』より)
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幣原の盟友・大平駒槌が幣原から直接聞いた話を記録したノートというものがあり、それにはこう述べられている。

幣原:「自分は、生きている間に、どうしても天皇制を維持させたいと思いますが、協力してくれますか」
マッカーサー:「占領するにあたり、一発の銃声もなく、一滴の血も流さず進駐できたのは天皇の力によることが大きいと深く感じているので、私は天皇制を維持させることに協力し、努力したいと考えています」
幣原:「戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外にないと考えます」
マッカーサー:「そのとおりです」
幣原:「戦争を放棄する。世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことを、はっきりと世界に声明すること。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることではないでしょうか」

ちなみに、マッカーサーは書簡でこう述べている。
「 戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行なったのです。私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され私を感動させました。」
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さて、日本は戦力は持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で警察予備隊を創設。そして1954年、自衛隊が誕生した。いまや日本の軍事支出は、世界で第8位である。

坂口安吾の「堕落論」における天皇制について

坂口安吾の「堕落論」の一説から引用。全文は、青空文庫にある。「天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。」と述べる。
なお、改行は読みやすいように池谷が勝手に行っている。
--------------------引用
私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。

天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。

社会的に忘れた時にすら政治的に担かつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。

それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。

すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代藤原氏天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑いもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。

天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。

天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
--------------------引用完了

OCRでテキストにして読書 「検索一覧」がいい

 
書籍をOCR機能(画像データから文字を認識しパソコン上で検索・編集可能な文字データとして取り込む)を使ってテキストにする。それを「エディター」に入れることで、「検索一覧機能」を活用した読書にトライしている。
OCR機能を使うためには、スキャンが必要。スキャナーにかけてGoogleDriveに保存、GoogleDocumenのOCR機能で、テキストにしてしまうのだ。ほぼ95%の精度。この方式だと、本は傷めないので、図書館の本でも可能だ。
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とはいうものの、やはりそこは手間だ。何度も読みたくなる本、あるいはこれまで何度も読んだ本に限定している。多読よりも少数精読になる。
これまでの読書法は、サイドラインを引きながら読んでいた。いまはテキストなので、読みながらショートカットキーを使って、ポイントの箇所はゴシックに、さらに大切な箇所は、赤くマークする。そんな読み方をしていると、深く読み込める
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テキストなので大量のデータベースになっている。利点は、即座に検索できることだ。「検索一覧」が特にいい。「検索一覧」から、「タグジャンプ」して、該当箇所のセンテンスを読むと新しい発見が生まれる。
ワードみたいなアプリは余計な機能があるもので、それがために不便だ。重たくて遅い。瞬時の検索機能が弱い。そこは、やはりエディターがいい。ぼくの場合には、「検索一覧」のできるJeditにしている。
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これはディレクトリーで分類しての読み方から、ひとつの単語を元に、全データを拾うという「検索読書法」ということになる。これは、なかなかおもしろい。ちょっと革命的。
いわばこれは、「マイニング」といえる。採掘だ。地中の鉱物を掘り起こすこと。大量のデータを発掘して、有用な情報を得ることをいう。
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さて、そんなことをしていて、なにが生まれるのか、それはわからない。こうして、Facebookよりも、読書に力を入れることにした。投稿、発信は頭の整理のために休まずに続けていくが。

富永仲基の仏教批判

江戸時代の富永仲基という三十二歳の若さで亡くなった天才がいる。
彼の仏教批判は、いまだに説得力がある。その一部を紹介。田村芳朗さんの「法華経」(中公新書)から。引用。
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風土の影響ということについては、たとえばインドの風土的特色は「幻」にあり、この「幻」によって仏教の経典も作成されたという。
「幻」とは無限定とか空想的というような意味である。インドの外道で使われることばであり、仏教では神通などのことばがこれにあたるという。
仏教の諸経典は、この「幻」が動力となって種々の空想的な思想や表現を生みだし、それらが加上されてでき上がったものである。『法華経』の如来寿量品第十六にシャカが久遠仏であることを説いているが、これこそ「幻の幻」なるものであるという。
ちなみに、中国の風土的特色は「文」にあり、日本の風土的特色は「絞」にありとしている。中国人は文辞・弁舌を好み、日本人は簡素・率直な表現を好むということである。
仲基は、「儒の淫する所のものは文にして、仏の淫する所のものは幻なり」『三教」第二十四)と評しているところから、日本の「絞」を最もよしとしているように思われるが、日本人にはいっぽうで「秘伝」を重んじ、物をかくす傾向があり、これは日本人の大きな欠点であるといましめている。
昔は日本人の心はすなおであったけれども、中世から近世にかけておきた芸能や神道の世界では、流儀や流派をやかましくいうようになり、閉鎖的な伝授・相承の制度を設けるにいたったことは、誠の道にはずれるものであると嘆いている。
-------------------(引用終わり)
インドの「幻」をもとにして空想的・思弁的な仏教哲学が創出され、それが中国に於いては「文」を軸にて、精緻な教相判釈が出来上がり、日本においては「絞」ということで、しぼりこんで、集約されていく。
ま、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経だけ唱えればいいとか。さらには、密教や天台本覚論のように、秘伝、切紙相承みたいにむやみに秘密にして伝授していくようになる。

校正ミスの発見 音声読み込み

無農薬田んぼのマニュアル、というか「失敗苦労談」の手引書を作成。原稿用紙にして70枚くらい。
こういうのは、ひとりでやっていると、文字のミスがたくさん。とくに「同音異義語」だ。たくさんあった。自分で作った文章は、誤字脱字が発見しにく
だれかに読んでもらえばいいのだが、妻は忙しい。人は雇えない。

なので、「Macの音声読み込み」をフルスピードにして、読み込ませる。これは、なかなか聞きやすい。さらには、ワードに読み込ませると、ある程度の文字のミスはチェックしてくれる。
そのうち、かなり完璧な人工知脳のアプリが現れると思う。やはり、Googleだろうなあ。英語のものは当然あるのだが、日本語はこれからだろうな。

余談:同音異義語で間違えた恐ろしい話。当時、ある上場企業の総務部株式課にいて、株主総会対策の仕事をしていたことがある。総会の想定問答集とか、社員持株会だの、転換社債の残高を日銀に報告するとか、まあそんな仕事
あるとき、ぼくが警視庁宛に株主総会の警備のお願いをワープロで作成した。それを課長が警視庁に持参した。ところが、警視庁殿が「軽視庁殿」となっていた。途中で気がついて、警視庁に渡す寸前に打ち直したのだった。

幼稚園につれていく


風邪で具合が悪い妻の代わりに、朝、あかりを保育園に連れて行く。
駐車場から幼稚園の入口に至るまでが、一苦労。あかりは、靴を脱いで放り出して裸足になったり、フェンスによじのぼったり、一筋縄ではない。ほかの子どもたちは、ちゃんとフツーに歩いているんだけどなあ。
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門のところでは、毎朝、駐在のおまわりさんがいる。園児がは手を上げて「はい。みぎ・ひだり」と確認してから道を渡る。その練習を見守っているのだ。みんな、お利口さんにやっている。あかりだけが、ちゃんと手を上げていない。
園内に入れば、カバンはどこ、帽子はどこ、スリッパはどこに……と、いちおうは指導に従って置いていた。やれやれ。
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やがて13時に迎えに行く。お母さんたちとともに、授業の終了を待つ。
そして、手をつないで帰る。こんどは、ちかく保育所に16時までみてもらうのだ。マンツーマンだ。ところが、着くやいなや「家に帰りたい。おかあちゃーん」と、大声で泣き出す。手がつけられない。
これは仕方なし。いったん家に帰る。家でしばし遊んで、矛先を変えて、「そうだ、リヤカーでいこうか」というと、「うん。行く」と言い出した。それでまた保育園にリヤカーで連れて行く。
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そうして、ふたたび16時に迎えに行く。帰りに、「そうだ、まほろば図書館(近くの私設図書館)に寄るかい?」と聞きくと「うん。寄ってもいい」という。
図書館では、小5の男の子と女の子がいた。男の子は「おじさん、将棋できますか」という。「うん、棒銀戦法しかできないけど」というと、「じゃあ、やりましょう」。しかし、男の子は強い。何手も先を読んで打つ。ぼくはあっけなく敗れてしまった。
あかりは、女の子に絵本を読んでもらっていた。そのあと、広場でドッジボール。あかりだけは、サッカーで参加だ。これでなんとか1時間、遊ばせることがてきた。あかりを通して、子どもたちとのつながりが増えていく。
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家に帰ったら帰ったで、ぬいぐるみ遊び、柱に結わえた紐でのぶらんこあそび、積み木と、お付き合い。
きょうから土日は、幼稚園も保育所も休み。朝からまた、ブロック積み遊び。魔法使いと幽霊船のたたかいの物語を一緒につくる。
かくして日々、絶え間なく、休む間もなくつづいていく。ま、いまの時代しかあじわえないこと。何しろわが子だから、かわいい。そして、子どもの感性を取り戻すことでもある
しかし、ああ、余裕ほしいところ。気力、体力、時間と。
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余談:おまわりさんとの立ち話。おまわりさんは、だいたい3年くらいで転勤となる。これまで、南伊豆や浜松の北端の水窪町、浜松の〈まちなか〉と経てきた。住民の暮らしを見てきているのだから、いろいろ地域特性がみえて、おもしろそうだ。どんなことがたいへんか、難しいか、たのしいか。いろいろ聞かせてもらえた。警察官の話を聞くということはすくないので、そのうち、講座で話してもらおうかな。

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古くなった貨車の扉

古くなった貨車の扉。すこし加工してみると、なかなかいい芸術作品のような……。カバーデザインに使ってみようかな。こないだ落札した競売物件に置いてある貨車を撮影。きょうは、ここの草刈りに行かなくちゃ。

 

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幕末から敗戦までざっと俯瞰

このままじゃ日本は列強の植民地になってしまう。隣の清国のように。いまの幕府じゃダメだ。「尊王攘夷」(天皇を中核として、異国を撃退する)を旗頭に、幕府をやっつけよう。さいわい、それが国学以来のブームとなって、水戸学、長州などから盛り上がってきた。
ひとつ小異を捨てて大同につこう。薩長が連合して、岩倉たちは宮中も巻き込んで「官軍」となって幕府をやっけた。しかし旗頭の「尊王」はいいが「攘夷」はこまる。日本は近代化しないと、列強に負けてしまう。それは火を見るよりも明らか。
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内実は「尊王開国」にしたい。ところが、孝明天皇は頑固な「攘夷思想」。これは困る。もっと操りやすい人物を天皇に据えて、天皇の権威によって国が治まるようにしたい。孝明天皇はなぜか急死された。
幕府に替わる「権威」は天皇しかない。新しい天皇明治天皇)をもってきて、その方を神様に祭り上げよう。そして、伊勢神宮をトップにして村々の神社を傘下に収めてヒエラルキーを作る。「尊王攘夷」じゃなくて、「尊王開国」でいこう。「文明開化」だ。「富国強兵、殖産興業」だ。
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それまでは、神社とお寺はほとんど一体だった(伊勢神宮でも護摩壇があって加持祈祷やっていた)。仏教は外国の宗教だ。神国日本、神州不滅の国、天孫降臨天皇の支配する国としては、それは具合がわるい。
そこで、神と仏はしっかり分離してしまおう。神社にしても、大整理しよう。村に一つあればい。合祀するのだ。ややこしい神様、権現(本地は仏だが外面は神)、逆賊(平将門なもの)迷信、クニツカミ系統の神(オオクニヌシ系統)など除外してしまおう。中身を入れ替えてしまえばいい。わかりゃしない。
神主たちに村人を教化してもらえばいい。けれども、かれらにその実力と教義は弱かった。そこはやはり、伝統ある僧侶が説法がうまい。ならば、神職も僧侶もともに、国民を強化してもらおう。
海外の近代技術とともにやってくるキリスト教に対抗するには、やはり仏教が説得力がありそうだ。キリスト教対策のためにも、廃仏毀釈はやめて、やっぱり僧侶に活躍してもらおう。その機に乗じて、仏教も積極的に売り込んだ。
たいせつのは、新しい日本の「教典」だ。学校教育では、徹底して天皇が神様で偉大なことを教える。天皇のために身を投げ出す兵隊を作り上げる。その骨子としては「教育勅語」を作ろう。
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さて、開国して海外の近代技術を修得しないと、列強に伍すことができない。さいわいイギリスがたくさん金を貸してくれる。外交的にも段取りしてくれる。その勢いで、朝鮮を支配し、清国と戦った。勝った。さらにその勢いてロシアとも戦い勝ってしまった、いや負けなかった。
ということで、日本はますすます調子づいて、軍備は増強して満州に帝国を作り、五族協和を唱え、白人の手からアジアを取り戻す(八紘一宇)という大義を打ち出した。
ほとんどのアジアに攻めていった(石油を奪うのが目的ではあるが)。そうして、中国、アメリカ、イギリス、オランダなどにも戦争をしかけた。奇襲攻撃だから、最初は勝った、勝った、で勢いはすごかった。しかし、肝心の石油はないので軍艦も飛行機も戦車も動かない。鉄くずだ。
やがて物量作戦と総合力で日本は、負けていく。撤退につぐ撤退。拡散した兵隊を引き上げるのは大変だ。輸送船がもうない。各地で、玉砕に次ぐ玉砕。ついには、特攻隊が現れ、戦艦大和も片道の石油しかないのに沖縄に行く。勝つ見込みなどない。敵の本土上陸の時間稼ぎのためだ。硫黄島もそうだった。
そうして、ポツダム宣言が発せられる。日本は、国体(天皇制)を護持できるかどうかにこだわっているうちに、東京大空襲、原爆を落とされ、ついにはソ連が参戦して万事休す。満州の引き上げ、沖縄の悲劇。無条件降伏となる。
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そうして、連合国(アメリカ)がやってきて、占領軍として日本を支配した。財閥解体、農地解放、婦人参政権憲法改正、次々と手を打った。
わけても来るべき「米ソの冷戦」をにらみ、共産主義化を恐れて、日本を反共の防波堤にしようとした。そのためにも、天皇制は残したほうがいい。しかし、それでは世界が納得しない。ので、戦争放棄憲法を作った。けれども、朝鮮戦争が起きて、日本の軍備が復活となった。
占領政策の残滓は今も色濃い。日米地位協定は厳然としてある。なにごともアメリカの顔色をうかがう人の政治は、以来、ずっと続いている。

 

 

なぜユダヤ人が亡国の民となったか

ユダヤ人」という民族的(生物的)な特徴は、はっきりしない。故郷を失い、各地に放浪し混血が進んだから。なので、「ユダヤ教のおしえ=律法、を信じまもる」というひとつの紐帯を示すともいえる。
なぜユダヤ人が亡国の民となったか、について。以下、山形孝夫著「聖書小辞典」(岩波ジュニア新書)から
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紀元前587年、エルサレムは新バビロニヤ帝国のネブカドネザルの攻撃によって陥落。聖都エルサレムは壊滅しました。
エルサレムのすべての市民、すべてのつかさ、すべての勇士、すべての木工と鍛冶1万人」が捕えられて、バビロンの地へ連行されました。
紀元前538年、ペルシャ王クロスによって新バビロニヤ帝国は滅ぼされ、補囚の民は祖国帰還をゆるされますが、イスラエルの民は各地をさまよう亡国の民となり、聖都エルサレムは民族の再生をかけた悲願の都となりました。
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この50年間にわたる奴隷のような状態によって、「なぜ偉大なユダヤの王国が壊滅したのか、なぜこんなに悲惨な目に遭ったのか」という意識が生まれ、次々と預言者も現れ、強靭なユダヤ教がつくられていったのだろうか。

ユダヤ教と仏教の戒律について

ユダヤ教徒とは、インドの旅でよく出会ったことがあるが、言葉の問題があって、じっくり話をしたことがない。
とにかく「たくさんのきめごと」があるようだ。また、ユダヤ教の戒律、儀式とイエスの生きざまと教えと連動していくと、じつにいろいろおもしろい。
以下、山形孝夫著「聖書小辞典」(岩波ジュニア新書)から。とても読みやすい。
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安息日の労働禁止は、イスラエルに住むすべての人びとが守らねばならない戒律だったのですが、人間だけでなく牛やろばなどの家畜にも適用の義務が明記されています(申命5:12-15)。
禁止された労働には、耕作、商い、旅行はもとより、パンを焼いたり荷物を運ぶ仕事など、その他こまかくひとつひとつ数えあげられています(出エジプト16:23-30、エレミヤ17:21-27)。
それだけではありません。実は、こうした安息日の戒律を守るためにさらに39か条の禁止事項がつくられ、それを守るためにさらにまた234項目もの禁止行為が設定されて、ユダヤ社会は数えきれない戒律によってがんじがらめにしばりつけられていたのです。
エスが語った言葉「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27、マタイ12:8ほか)は、形骸化した戒律にしばられて心の自由を失った人びとにたいする警告として読みとくことができます。
なおキリスト教徒の日曜礼拝の慣習がユダヤ教の土曜安息日礼拝をうけついでいることはもちろんですが、土曜から日曜礼拝への移行の最大の理由が、その日がキリストの復活の日であったことによることはいうまでもありません。
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仏教においてもたくさんの戒律がある。初期仏教においては僧侶は250、僧尼は500もある。12時過ぎきたら食事してはいけないとか、高いベッドに寝てはいけないとか、歯をむき出して笑ってはならないとか、たくさんある。
それをこの日本において実行しようとすると、たいへん。生きていけなくなる。そのためには、お付きの人がいて、なんでもしてあげなくちゃいけなくなる。なにしろ、自ら料理もしてはならないのだし、お金も持ってはならないわけだから。

あかりとの対話

あかりとの対話。

─ああ、お母さんは、いつも、あかりがべったりいて、ほんのすこしでもいいから解放されたいわ。
すると「解放されることはないよ」と言ってた。

ぼくが、いろいろうまくいかなくて、「ああ、だめだぁ」とつぶやいたとき。

「だめだっと、言わないで。びっくりするから。ひとりでがんばって。手伝えないから」そう言われた。

 

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