過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

求道者として実践をしてきた方と、いっぽうわが来し方の35年

「 一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎにいたる道である。ブッダの弟子である修行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地にはげめ。」(ダンマパダ75)

「 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。――牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。」(ダンマパダ9)

当時は会社員だったから、「利得に達する道」を選んできたということになると思う。それが「安らぎにいたる道」と思いこんでいたわけで。どうも道がちがっていたことに、やっと気がついてきた。しかし晩年。
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思想とか思い込みとか信仰とか体感のとらえかたとか、いろいろな人から話を聞くのが好きである。もちろん自分で体験したことをまとめていく、文の形にしていくのが習性となっている。

信仰者が語る信仰の内容、教義にも関心が行く。なぜその信仰に入ったのかという人間の生き方にさらに関心が行く。

どちらにせよ。色々な思いを整理していくのが日々の楽しみというのか、習慣になっている。
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西洋占星術では、私の生まれは「双子座」で、支配星は水星だ。コミュニケーションを円滑にしてネットワークを広げるという傾向性がある。フレッシュな感性、刺激を常に欲していて、知的・情緒的な刺激・新しいことを積極的に取り入れながら生きていくというタイプになる。

反面、深い感情の機微に触れることに対する恐れ、なにか制限されることに対する恐れももっている。なので、こんなにいろいろな宗教やら仏教に縁しながら、だいたいはつかず離れずのスタンスだ。組織内にはいってがんばろうという熱意、継続心はない。
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35年ぶりにAさんとやりとり。いまはタイのチェンライに暮らしている。まったく初期の頃のスマナサーラ長老の法話に接して、それれこそ〝箸の上げ下ろし〟まで指導を行けてきた人だ。ちなみに、〝箸の上げ下ろし〟というのは、行為ではなくて、行為のみおおもとである心に働きを注意してくれたということだ。

わたしは、その時代からスマナサーラ長老と縁があったが、情報として思想として整理するほうばかりで、きちんと実践の道には入っていない。

Aさんが求道者として、丁寧に熱心にヴィパッサナーの実践をしてきたことで、体感として掴んだ無常と縁起の話を聞いて、来し方の35年来のわが人生を省みている。