こんど「道元を語る」をテーマに本作り。6月に取材させていただいて、原稿作りに入る。
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──長老、おひさしぶりです。また、本を作らせてもらいますのでよろしくお願いします。
「はい。池谷さんの手にかかったら、なんでも本ができちゃいますからね。」
今回は「道元禅師」がテーマです。日本仏教は、ブッダとは大きく道が外れるところがありますが、道元は仏道そのものというふうにとらえています。しかし、とっても難しい。日本人が読んでもさっぱり意味がわからない。
でも、スマナサーラ長老が語るとあんなに難しいと思われていた道元のことばが、腑に落ちる、わかりやすくなるというのが、本のウリですけど。
「わかりました。やりましょう。しかし、私はいまさら、道元の難しいことばを引用したりするのは疲れますから、池谷さんのほうでまとめておいてください」
──はい。できれば、『現成公案』だけで一冊できると思います。
「仏道をならうとは自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」。
「いいですね。それでいきましょう」
──ところで、日本仏教はブッダの教えと大きく乖離しています。最澄、空海、法然、親鸞。たとえば、日蓮など。
──なるほど。たしかに、日蓮は「私」「私が」「私こそ」が強いですね。
「南無妙法蓮華経と日蓮は一体というんでしょう。それが、〝仏道〟なんですかね」
──はい。まあしかし、それが創価学会など新興宗教の母体になっていきます。
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「日蓮は、そもそも『法華経』を読んでないんです。」
──おおっと。そうきましたか。いわれてみれば、日蓮は『法華経』を身読したといっていますが、きちんと『法華経』を読んでいないともいえますね。
「まあ、池谷さん、余計な話はやめて、道元禅師の話をしましょう。