過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラ長老との出会い②「仏法学舎」に長老が訪れるところから始まる

スマナサーラ長老との出会い②

スマナサーラ長老をはじめて知ったのは、テープの音声からだった。
当時、私は「仏法学舎」という集いに出て、大乗仏教を広く学んでいた。

導師は、金田道迹(かねだどうしゃく)という方で、浅草で仏壇屋を営んでいて、自ら出家道に入った方だ。
テキストは、『法華経』「秘密曼荼羅十住心論」などを用い、講義の内容はすごかった。

「秘密曼荼羅十住心論」は、平安時代空海の著したもので、インド哲学批判から、小乗、大乗、華厳・密教に至る。それを入門書にして講義していた。
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金田師のすごいところは、何を聞いてもどんなことを聞いても、即座に経典や論書の文句が出てくることだ。

解深密経」は読んだか。「大乗起信論」を読んだか。「即身成仏義」はどうだ。『法華経』の三乗方便道を知らないのか、と聞かれたが。わたしはほんどわからない。

さらにすごいのは、その場でホワイトボードで即座に図(マンダラ)で表してくれること。まこと秀逸な方であった。

しかも、お金は取らない。講義が終わった後はおいしい食事まで出してくださる。メンバーは20人くらいいた。しばらくそこの集いに参加して仏教を学ぶことにしたのだった。私が30歳のときだ。
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そのメンバーに竹田倫子さんという方がいた。後に、上座仏教修道会を主催することになる。
竹田さんが、あるとき、その仏法学舎にスマナサーラ長老を連れてきた。

金田道迹師は、「わしは大乗の菩薩じゃ」というありよう(マウンティング)で、はじめからスマナサーラ長老を未開の国の小乗仏教のレベルの人と見ていた。自分は椅子に座り(足が悪いということもあり)、スマナサーラ長老は下座の位置のままのやりとり。

私はその場にいなかったが、その様子は竹田さんから聞き、そのやりとりはテープで聞いた。
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金田師は、小乗の涅槃と大乗の涅槃の違い、そして、法界体性智というところから、華厳や法華の話をする。話をしていながら、かなり混線してきているのがわかる。

スマナサーラ長老はそれを聞きながら、金田師の論理的な矛盾を時折、衝いていく。しかし、あえて論争にはしない。
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金田師は、参加者に「みんな、折角の機会だから、このお坊さんに質問があったらするように」と言う。
で、参加者のBさんという女性が、質問した。

「瞑想のポイントは何でしょうか?」
スマナサーラ長老は即座に答えた。

「捨てることです。瞑想するとある境地に達することがあります。ときには、至福の体験を得ます。しかし、また別の機会に瞑想するとき、〝また、あのような体験をしたい〟と思ったら、もうダメなんです。
瞑想のポイントは、毎回、毎回、いままでの体験を捨てるんです。捨てて瞑想するんです。どんなすばらしい体験があっても、すべて捨てるんです」

そんな答えであった。
そのやりとりをテープで聞いたのだったが、「おお、すごい」と思った。
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その場にいた鈴木一生さん(後に、テーラワーダ仏教協会を立ち上げる)は、「この人はホンモノかも」と直感する。
そして、長老の大檀那(スポンサー)となってゆくのだった。

旅費、生活費、マンションを提供する。
「テーラバード」という会社(ゴルフ会員権販売)をつくり、そこに週一で社員教育で仏教を教えてもらうという形で、長老に謝礼を渡す。

やがて、千駄ヶ谷のアパートの二階に、任意団体として「テーラワーダ仏教協会」を立ち上げる。そして、定期的に長老の法話を開催。その講話集を自費出版していく。

編集したのは、根守さんという方で、鈴木一生さんの友人。青春出版社の編集長をされていた。それらの出版物が蓄積されて、やがて「怒らないこと」(サンガ)など、膨大な出版物が世に出ていくことになる。(続く)