「そば職人がそばを打つように、特種な才能をいかす。それが池谷さん」
と、そんな言葉をいただいた。
断食道場を主催している山梨のMさんとやりとり。
というのは、いまテーラワーダ仏教史の執筆と、スマナサーラ長老の来年80歳を記念しての本作りの仕事が始まりつつある。
縁によって動くのが、わたしの生き方。
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それにしても、ああ、暑すぎる。
山里では、夕方はひぐらしがよく鳴いている。キリギリスも。
きょうは、時間があるので、友人の安否確認も含めてあちこち電話した。
もう亡くなっている人もいた。
ええ? もう亡くなったの?
それはそうだ。みんな歳だ。こちらもあやしいんだもの。
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日本の仏教は、鎮護国家、現世利益の仏教であった。
国を守るため、繁栄のための教えとしての仏教だ。
毎日、寝る前に「吾妻鑑」(あづまかがみ)を読んでいる。鎌倉幕府の日々の記録書だ。
それを読むと、個人の生き方としての実存的な教えとして、仏教はとらえられていない。
戦乱、疫病、飢饉などに対して、ほとんど陰陽道やら加持祈祷の世界だ。
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そうしたなかで、鎌倉仏教──法然、親鸞、道元、日蓮などがあらわれて、とても魅力的である。
中国では如浄禅師のような方がいた。そして、それを受けた道元禅師がいた。身心脱落。脱落脱落の世界である。
しかし、徳川時代にあっては、封建社会の民衆支配のツールとして、寺院は機能する。
そこから今に至るまで、仏教は葬式、儀式・儀礼の宗教となる。
ブッダそのものの教えは、「小乗仏教」として、貶され学ばれることはなかった。
しかし、明治維新になって、パーリ語を通してブッダその人に学ぼうという流れは起きた。
だが、学問世界のみであって、実践としては、まったくわからなかった。
葬式仏教、儀礼仏教、あるいは学問としての仏教。
あるいは、現世利益の新興宗教としての仏教。
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そこに、スリランカからスマナサーラ長老が日本に現れた。
直截的なブッダの教えが語られる。その言語力、その明快な教え。
いわば〝スマナサーラ・ショック〟を日本にもたらしたといっていいか。
それは、仏教のバージョンアップではない。
いわばOSそのものの再インストール。ブッダというOSだ。
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まあ、そんな文脈で、スマナサーラ長老の本作り、あるいは日本テーラワーダ仏教の本作り、そんな仕事の可能性が起きつつある。
本日から、ZOOMでその打ち合わせ。
しかし、暑すぎて------。