過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヴィパッサナー瞑想⑰ 置物のように坐る 通し番号111

※「置物のように坐る」。まあ、いちばん難しい。
道元禅師で言えば、只管打坐(しかんたざ:ひたすらすわる)。
がんばって必死で坐るんじゃなくて、ただ置物のように、石ころのように坐る。

Only sittingというよりも、Just sitting かなあ。
これができたら、「山水経」の世界。
而今(にこん)の山水は、古仏の道現成(げんじょう)なり」(正法眼蔵

以下はスマナサーラ長老の指導。
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座ったら置物のようにしているんです。
まったくびくとも動かない。
でも生物だから肉体は感覚があるんですよ。
体のどこかがすごく痛くなる。しっかり座っていると結構痛くなります。
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痛みというのは、なんでしょうか。
心が物質の中に入ったら感覚が生じる。その感覚が痛みなんです。痛みがあるから生きている。痛みというものは、変わっていくだけで、なくなるわけでもないんです。

座っていて痛みが出てきたら、第三人称で、痛み、痛み、痛みと実況中継してください。
痛いという単語は使いません。私が痛いのではありません。
痛みがあるのです。だから、痛み・痛み・痛みです。
痒くなったら、痒み、痒み、痒みと実況中継してください。痒いというのはアウトです。
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あたかも置物のように座るのです。痒くなっても、痛くなっても置物は動きません。体を変えません。
痛みをそのまま得るんです。もしも耐えられないほど、悲鳴を上げたいほどの痛みが出てきたら、瞑想はパスしたほうがいいです。
なるたけ耐えられるところまで、がんばってみるのです。
座って瞑想するとき、目は閉じたほうがいいです。目を開けて瞑想すると脳みそが混乱するんです。
  ▽
では、深呼吸に戻りましょう。
吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。
もう一回 吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。
もう一回、吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。 
終わります。
目を開けます・開けます・開けます。
そういうふうに実況中継して終了してください。