※「置物のように坐る」。まあ、いちばん難しい。
道元禅師で言えば、只管打坐(しかんたざ:ひたすらすわる)。
がんばって必死で坐るんじゃなくて、ただ置物のように、石ころのように坐る。
Only sittingというよりも、Just sitting かなあ。
これができたら、「山水経」の世界。
「而今(にこん)の山水は、古仏の道現成(げんじょう)なり」(正法眼蔵)
以下はスマナサーラ長老の指導。
▽
座ったら置物のようにしているんです。
まったくびくとも動かない。
でも生物だから肉体は感覚があるんですよ。
体のどこかがすごく痛くなる。しっかり座っていると結構痛くなります。
▽
痛みというのは、なんでしょうか。
心が物質の中に入ったら感覚が生じる。その感覚が痛みなんです。痛みがあるから生きている。痛みというものは、変わっていくだけで、なくなるわけでもないんです。
座っていて痛みが出てきたら、第三人称で、痛み、痛み、痛みと実況中継してください。
痛いという単語は使いません。私が痛いのではありません。
痛みがあるのです。だから、痛み・痛み・痛みです。
痒くなったら、痒み、痒み、痒みと実況中継してください。痒いというのはアウトです。
▽
あたかも置物のように座るのです。痒くなっても、痛くなっても置物は動きません。体を変えません。
痛みをそのまま得るんです。もしも耐えられないほど、悲鳴を上げたいほどの痛みが出てきたら、瞑想はパスしたほうがいいです。
なるたけ耐えられるところまで、がんばってみるのです。
座って瞑想するとき、目は閉じたほうがいいです。目を開けて瞑想すると脳みそが混乱するんです。
▽
では、深呼吸に戻りましょう。
吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。
もう一回 吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。
もう一回、吸います・吸います・吸います。吐きます・吐きます・吐きます。
終わります。
目を開けます・開けます・開けます。
そういうふうに実況中継して終了してください。