過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

二胡奏者の劉揚(りゅうやん)さんに漢詩をよんでもらう

二胡奏者の劉揚(りゅうやん)さん。コンサートの企画のことで話をしていると、中国の古典の話がよく通じる。王維や李白の詩について語り合った。
漢詩というものは、中国語の発音で読んでもらうと、たいへんに美しい。韻を踏んでいる。やはり日本は、中国の深い文化が基礎にあると感じる。自分の名前ですら、漢字だ。仏教が伝わってきたのも中国からだ。
源氏物語』や『枕草子』などを読んでも、白楽天の詩だとか、中国の古典は当然のように出てくる。日蓮の書なども、そうだ。「日蓮が去ぬる文応元年[太歳庚申]に勘えたりし立正安国論 今すこしもたがわず符号しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん」(種種御振舞御書)
明治につくった歌詞「蛍の光」にある蛍雪の故事は、中国の古典だ。平成という元号は「内平かに外成る(史記)地平らかに天成る(書経)」。ちなみに「令和」は万葉集から、らしい。
ぼくは、元号は必要ない思うけれど、もしも続けるならやまと言葉にしたらいいのに、とよく思う。〝まほろば〟とか〝あしはら〟とか〝あしかび〟とか。
  ▽
ま、それはともあれ、劉揚さんから唐詩を中国語で発音してもらうと、なんとも美しい響きで感銘する。ああ、こうして中国語を若いときに学んでいたら、どれほど良かったかと思ったよ。
ということで、近いうちに「いちりん楽座」で、唐詩漢詩など味わう集いを企画している。そして、劉揚さんに二胡も演奏してもらう。彼がなんとも楽しそうに演奏するのがいい。
  ▽
ところで、劉揚さんよりもすこし上の文化大革命の世代になると、論語老子などの話をしても、まったく通じない。唐詩も通じない。
中国から来日して、東京女子医大で医者をしていた女性、と話をしたことがあった。中古の古典のことを話しても、孔子? 老子? 王維? 李白? という感じで、全く通じなかった。
それは毛沢東が、当時ナンバー2であった林彪(りんぴょう)を追放するのだが、「批林批孔運動」といって、林彪批判と共に孔子も批判した。あわせて中国の古典も学ばせなかった。
また、下放運動(かほううんどう)あるいは上山下郷運動(じょうさんかきょううんどう)があった。
都市部の青年層に対して、地方の農村で肉体労働を行うことを通じて思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした。
農村から学べという理由で、学生たちを辺境の地に行かせた。
  ▽
その女医さんは、行かされたのは四川省の僻地だった。与えられたのは、首吊りで死んだ人の家。吊ったロープがまだ、ぶら下がったままだった。そして、家の中には棺桶が二つあった。
はじめの仕事は、首吊りのロープを切った。そして棺桶のひとつを薬の箱に。もうひとつは患者さんが坐る椅子にしたと言っていた。
劉揚さんは、文革のときには小学生。そして、いろいろ体験されている。それまで偉い大先生だった人が、農地で這うように草むしりしている。「あれは反省労働しているのだ」と聞かされたという。
まあ、そんな近現代史のことも語り合ってみたい。演奏は昨年の、マルカワの蔵でのもの。

映像は下記から

https://www.facebook.com/ichirin123/videos/3463201760645410